明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

221024

日記を投稿するに際して、余裕のある日はTwilogとHashphotosという写真管理アプリを利用して、過去に投稿/撮影した同日のツイート/写真を確認するようにしている。ほんの数年前なはずなのに、言っていることやっていること置かれている状況等がガラッと変わっていたり全く変わっていなかったり連綿と続くスペクトラム上にあったりして、少なくともわたしは面白い。他にも、思い出を貪らないことにはどうにもやってられないというのもあるが、20代の内からこんなことをしていたら、更に歳を重ねてから思い出がわたしを助けてくれなくなるんじゃないかという不安もある。それでも今はこうすることしかできないので、このようになっている。いつかこうでなくなるといい。

前置きが長くなった。2015年10月24日、わたしは大学のサークルの人達と飲み会を催していたらしい。催しておいて、"らしい"とするのも無責任なようだが、先の"ほんの数年前のはずなのに"という記述とも重なるが、遠い昔の、もっと言えば夢のような出来事に思えて、現実感が無いのだ。

その日の飲み会は、B1の後輩にけしかけて、京都出身のサークル員を集めようというコンセプトの下で開催された。当時のわたしはB3で、コミュニティ内で大きな態度を取っている存在だったものの、翌月の学祭でのサークル活動の引退(サークル活動の引退ってなんかかっこつけてて気持ち悪いなと今ははっきりと思う)が迫っており、好き放題偉ぶれる期間が間もなく終わろうとしていた。そこで、集団に対するわたしの何らかの効力が残っている内に、気にかけていた後輩にコミュニティ運営の練習をしてもらえたら……と思い、7,8人規模の飲み会を行う口実として「京都出身の者だけを集めて飲み会がしたい。声のかけ方や店は教えるから、あなたが船頭になって」と後輩に依頼したように記憶している。尤も、これはていのいい建前で、他のサークル員が神戸出身者だけを集めた飲み会をしていたと聞いて羨ましく思ったり、後にほんの数日間だけ名目上交際期間が生じることになる(わたしは交際したカウントに入れるべきでないと感じている)当時いい感じだった京都出身の人とのデートからの流れで酒を飲めば楽しかろう(B3の頃は酔いを言い訳にホテルに行くようなパンパンではなかった)と思ったり、単に気心の知れた人間を集めて飲みたかったり、そういう本心が背景にはあった。「他者の為だとか公共性というメッキの下に私利私欲を隠す、それがお前のやり口」というような旨の批判を、わたしを嫌っていた友人から受けたことがあったが、これはその好例だろう。利害の一致を利用して何が悪いのかとは今でも思う一方で、うまく言えないがわたしの欲の透けて見える塩梅が気に入らなかったのかもしれないとも思う。

烏丸通りの外れにある、入り口のビニールの暖簾が印象的なその居酒屋は、子供の悪戯のような盛り付け方のポテトサラダがやけに美味しかったことを覚えている。そこで話した内容を想起することは最早叶わないが、楽しかった大学生活の情景を思い浮かべる際に真っ先に過ぎる、愛おしい瞬間だった。件のいい感じの人がべろんべろんに酔い潰れ、会を開いた後に家まで連れて行ったことだけは鮮明に思い出せるのだが。

残った数名で、四条大宮の鳥貴族へと梯子した。幹事を任されてくれた後輩を労いつつ、学祭を以てコミュニティを離脱することによる交友関係の希薄化に対する不安をB4の先輩に聞いてもらっていた。「さっきね、ほんまに楽しかったんですけどね、こうして集まることなんてまあ二度と無いですよ。10年後に誰と顔合わせてるやろか思ったらねえ、誰の顔も浮かばないんですよ。きっとxxさんだって相手にしなくなりますからね」そんなことを言っていたように思う。先輩は「俺は10年後も(本名)と会うから、友達だから」と言ってくれていた。「ほんまですかぁ?」と口をついて出た言葉とは裏腹に、内心では相当に舞い上がりつつも、果たしてこれを信頼していいものか……と逡巡していた。

10月下旬の京都は、日中は過ごしやすい気温であることが殆どであるものの、夜間は肌寒いと言うには少し厳しい冷たさが広がる。午前2時を少し過ぎた頃、閉店までトリキに居座ったわたしと先輩は後院通から千本通を先輩と北上した。千本今出川で解散し、BOXを有する学生会館のある新町へ歩いた。

デートで行った店(四条河原町マクドの上にあった店、飲み会前に軽く引っ掛けようかみたいな感じだったと記憶している)、ニューカラスマ、四条大宮の鳥貴族の3軒

偶然としか言えない。学生会館のボルダリングスペースで、高校の同級生と再会する。1人で眠る為にBOXに向かったはずが、その人の腕枕の中で眠りに就いて朝を迎えた。

可能な限り脱臭せずに覚えていることを綴ろうとしたが、難しかった。ぼんやりとしか覚えていないことが殆どで、はっきりと覚えていることを書くのは憚られる。こうして全てはぼんやりとした思い出になっていくのだろうか。それでも、2015年10月24日は、楽しかった学生生活の情景としてわたしの中であり続けるのだと思う。2022年10月24日は冴えない日だった。確かにあった今日という一日を忘れて、鈍色の日々へ身を投じていく。

f:id:Halprogram:20221024225329j:imageこのエピソードに登場した全ての人の顔を、もう何年も見ていない。元気にしていますか?元気だったらそれでいいです

おわり