明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

230218

撮った写真を人に見せたい気持ちがあまりないという話を数日前にTwitterのスペースで話して以来、hatenablogを読んで読んでと喧伝するような態度を取ってみようと試みても今ひとつハートがついてこないというか、しんどく感じる。これを書き始めた時点で、今日はもう絶対にTwitterにリンクを載せないと決めている。決めたから何が変わるねんと言われると、うちの心情以外の何も変わりはしないので返答には窮するのだけれど。だからといって、誰も読んでくれるな!と思っているわけでもなく、こう、動線を用意せずとも読んでくれる人に対してはえらいおおきにいうような、そういう気持ちでして。なんか最近こんな話ばかり書いている気がする。

好きな音楽の話をしよう。わたしは音楽の好みというような感覚が未分化で、好きな人に押し付けられた音楽を好きになることが多い。SUPERCAR、というか中村弘二による各種プロジェクトはその筆頭だ。出演作がナカコーの楽曲群から着想を得たものであったことから、大学生の頃に聴き込んで、すっかりその虜になってしまった。監督がくるりの曲に着想を得ていたらくるりのファンになっていただろうし、それがday after tomorrowmihimaru GTであったとしてもそうなったかもしれない。しかし、わたしが出会った監督は、どうしようもなくナカコーのファンだった。ナカコーが作り出すメロディと気怠げな歌唱、フルカワミキのコケティッシュな声、いしわたり淳治の抽象と具体を揺蕩う詩性、ナカコーとフルカワの好き勝手に耐える田沢広大のドラム、これらが織りなす総体としての音が心地よく思えた。特に好んで聴いていたのがSUPERCARの解散ライブの音源だった。

解散ライブのDVDを観ていると、なんとなく、いしわたりと田沢が同じ方向を向いていて、ナカコーとフルカワが其々の先を見据えていたような、そんな印象を感じさせられた。最後に演奏された『TRIP SKY』は爆弾が爆ぜた後の煙が立ち込める様子を眺めているような、そういう味わいがあった。ちょっとこういうのは、他では中々感じることができないものではなかろうか。そしてその爆弾が臨界点を迎えた瞬間とは、直前まで演奏されていた『Karma』が後奏に入るその時に他ならない。一曲目の『WHITE SURF style 5.』から膨張を続けたそれは、6分程度の『Karma』原曲に比して倍程の時間をかけて演奏され、いしわたりのギターとナカコーのデタラメ英語を用いたエモーショナルな歌唱が、爆ぜる直前の高揚感とでも言うべきものを生み出していた。これらは奇しくも、SUPERCARの魅力である詩性とメロディが本来わたしが感じていた形とは異なる在り方で溶け合ったものだった。

なんか長々と書いたが、B3でサークル活動を終えた際や卒業時の追い出しコンパで作成してもらったビデオレターのBGMがSUPERCARやiLLの楽曲群になっていて、この映像を作ってくれたサークルの人達にとって、わたしの好きな音楽というのは先輩である監督のお下がりのナカコーなんだな、ということを思ったというような話がしたかったのだった。これだけ書けばよかったな。

千葉雅也のサイゼリヤのツイートが蒸し返されていたので改めて読み返したが、やはり何度読んでもサイゼリヤ批判として読むことができなかった。高校卒業程度の現代文を読む力があれば難なく理解できるものだと思うんだけどな。本当に怖かった。

ひどいと思ったで被せたツイートをご本人にRTされてちょっぴりニコニコした

というかここ最近の千葉雅也のツイートはめちゃくちゃ面白い さもしいことをちゃんとさもしいと言ってくれる 心強い

眠る前にすんごい嬉し懐かし楽し寂し申し訳なし有り難しコミュニケーションがあった。いやはや、こないなことがあると生きててよかったいうような気がしてくるわね。空気に触れる前の真珠のような輝きを褪せさせたくないのでここに仔細を書くのは控えるが。しかし、こうなってくるとほんまに誰の為の日記やろかいう気がしてくるわね。

TRIP SKY

TRIP SKY

おわり