明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

弘法にもしっくりくる筆はあったんと違うか

ストリートスナップの大家である森山大道は、COOLPIX S7000というコンデジ(コンパクトデジタルカメラの略称。主に、レンズがにゅーんと延びる、一昔前に主流だったレンズ交換のできない廉価なデジタルカメラを指す。)で近年の作品を収めている。起動やレスポンスが早く、ズーム機能も便利なのだとういう。

COOLPIX S7000は至って普通のデジカメだ。わたしも前モデルのS6000を高校生の頃に使っていたので、それはよく知っている。拘らなければ、殆ど全てをカメラ任せに撮れてしまえる。

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というか、カメラ任せにするより他ない程に、撮影者の意図を写真に反映させることが難しいカメラだ。申し訳程度に絞り優先ないしはシャッタースピード優先モードが搭載されていたと記憶しているが、ボケの望めないレンズでは精々流し撮りができるくらいのもので、表現の幅を大きく広げるようなものではない。当然、RAW撮影 (カメラ内でJPEGに変換せず、光の情報をそのまま記録すること。普段目にするJPEGをお料理とすると、RAWは食材と捉えると関係がわかりやすい。)もできないので、後から現像で手を加えるというのもあまり推奨されていないのだろう。JPEG撮って出し一本勝負の潔さがある。これは、常に携帯し、目の前に広がる景色を、見たままに収めることに特化したカメラだ。

そう思うと、森山が最新鋭の高額なカメラを使うでもなく、廉価なコンデジであるCOOLPIXを愛機としているのは理に適っているようだ。高い携帯性とレスポンスによって決定的瞬間を逃さずに素早く収めるという点において、COOLPIXは侮れない優位性があるのだろう。画質がどうだという向きもあるのだろうが、森山の写真を見てその違いを見出せる者がどれだけいるのか。いたとしても、それは瑣末な問題だろう。以前はデジ一(デジタル一眼レフ及びミラーレス一眼カメラの総称)と同等の画質を誇るGRシリーズを愛機としていたようだが、森山はズームの利便性を選び、変わらずに作品を生み出している。

「弘法筆を選ばず」とはよく言ったものだが、弘法にもフィーリングの合う筆はあったのではないかと思う。道具を問わずに優れたパフォーマンスを発揮することと、フィーリングの合う道具があることは、相反しない。先の森山も、最新鋭のカメラを与えた際に素晴らしい写真を収めるであろうこととは別で、一般に優れているとされないコンデジが森山にとって好ましい機能を有したものであり、選んだ筆なのである。

写真界の弘法ですら筆を選んでいるのだとすると、凡庸な写真愛好家が筆についてあーだこーだ言うのは、行為の是非と別で、至極当たり前とのことのように思えてくる。下手であればある程、道具にあれやこれや言うと相場が決まっているのだから。

f:id:Halprogram:20250106204353j:imagef:id:Halprogram:20250106204345j:imagef:id:Halprogram:20250106204350j:imageLEICA D-LUX Typ109で撮影した写真

初めて手にした本格的なカメラはLEICAのコンデジだった。PanasonicのOEMではあるが、カメラの王様であるLEICA銘を冠するものを手にすれば、以降欲は出まいという判断に基づいた選択だった。こんな文章を書いていることからも明らかなように、それは誤りであったが、Typ109自体は素晴らしいカメラだった。広角から中望遠までの画角をカバーし、絞りとシャッタースピードの物理ダイヤルを備えたコンデジというのは、極めて稀少だ。わたしはこのカメラでISOを含めた露出の関係(絞りとシャッタースピードで露光量が決定しISOで電子的に補正すること)とRAW現像(RAWを自分好みのJPEGに編集すること。食材を調理するイメージが近い。)を覚えた。不満があったとするならば、レンズの伸縮に伴い埃がセンサー(デジタルカメラにおけるフィルム部分)上につき易かったことだろうか。何回か高い修理費を払ったことを覚えている。しかし、繰り返しにはなるが、それを除けば非常に素晴らしいカメラであった。これは、壊れるまで愛用していた。

長い筆探しはここから始まった。次に手にしたカメラはLEICA Q2。固定式の広角単焦点レンズに高画素センサーを組み合わせ、周辺部を切り捨てることでコンパクトサイズと擬似的なズームを両立した、革命的な機種であった。資産的価値が無くなっているんじゃないかというほどボロボロに使い倒しており(レンズはともかくデジタルライカに資産的価値があるのかは微妙なところではあるが)、これで撮った写真を見てもらったことで生じた嬉しいことが沢山あった。人生を切り開いてくれたカメラと言っても過言ではない。

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しかし、周辺部のクロップという仕組みの都合上、再現できる画角には限度があった。このカメラでは撮れない写真がある。そう思ったとき、次のカメラ探しがまた始まった。

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SIGMA fp Lは先のLEICA Q2と同様に、クロップによる擬似ズーム機能を搭載する非常に小さなカメラであり、この点が非常に好ましかった。何より、レンズ交換が可能であるという点が素晴らしい。Typ109やQ2ではレンズを交換しないという覚悟が問われ、それが面白くもあり苦しくもあったが、違う画角で世界を見たいという気持ちに応えてもらえるのがこんなにも嬉しいことだったとはね。機械式シャッター非搭載による画の歪みや、やや不確かなAFといった不便はあるが、それをどうにか乗り越えた先に得られるものがとても愛おしい。趣味でカメラを楽しむには十分だろう。

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そう、趣味で楽しむだけならいいのだけれど、下手の横好きながらも時々撮影の仕事を頂戴することがあり、そのような場合「いや〜カメラの特性で歪んじゃいまして〜笑」というような失敗が許されなくなる。機械式シャッターがあり正確なAFと手ブレ補正を備えたレンズの交換式カメラとして浮上したのがFUJIFILM X-T5だった。fp Lと同じLマウント機も検討したが、当時のPanasonic機はAFに難点を抱え、LEICAは高過ぎるのでそもそも候補外。他のレンズマウントで35mmセンサーのエコシステムを組むことも費用が嵩み現実的ではない。そういった理由から、半ば消去法的ではあるものの、手堅い選択肢であったように思う。センサー特性をあまり掴めておらず、RAW現像には苦労しているが、撮れる画自体には文句がない。素早く正確なAFと強い手ブレ補正があると、こんなにも不自由せずに撮れるのだな。大手のカメラは凄い。

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最後にdp2 Quattroの話をしよう。先に挙げたfp Lを含め、SIGMAは不便なカメラを作るメーカーとして写真愛好家に知られている。当然、不便なだけでは売れるはずもなく、fpシリーズは無駄を削ぎ落としたソリッドなコンセプトが、そしてdp Quattroシリーズは画質と携帯性及び利便性のバランスが一部愛好家に支持されている。簡単に言えば、デジタルカメラの仕様上生じる画質低下を回避した代わりに、電子的に露出を補正する機能及びAF等々のレスポンス速度が著しく低いレンズ固定式のデジタルカメラがdp Quattroシリーズなのである。わたしはこのカメラがとても好きだ。fp LやX-T5用の所有レンズでも同じ画角を再現できるが、このカメラでしか撮れない写真があるような気がしてならないからだ。

好きな理由は画質どうこうという話ではない。先の話とは矛盾するようだが、このカメラは発売から10年が経っており、その間に通常のカメラに対して有していたアドバンテージは、技術の進歩によって無いも同然と化している。これは、CP+というカメラと写真のプレミアショーでSIGMAのエンジニアである大曽根康裕氏が数年前に語っていたことなので、ユーザーの肌感覚ではなく端的に事実なのだろう。

しかし、かつて高画質を実現する為の代償であった様々な制約が、いまのわたしにとっては撮影体験に没入する要因として機能しているように感じている。「ISO100でしか撮れないから絞りは開いて、シャッタースピードも稼げないからしっかり構えて…」みたいなことを考えながら撮るのが、堪らなく楽しい。何でも撮れてしまうカメラでないことが楽しさに繋がるというのは、自分で言っていても不思議な話だが、そう感じてしまっているのだから仕方がない。

不思議な話でいえば、このカメラを使っていると、景色の方から「俺を撮りな!」という声が聞こえるような、そんな感覚に陥ることがある。厳密にいうと、声が聞こえるというよりは、撮り応えのありそうなところが輝いて見えるというか、そんな感じがするのだ。こんな体験をさせてくれるのは、今のところこのカメラだけだ。

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冗長になった。筆を置こう。いや、この場合は筆を執ろうか。

おわり