明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

230311

同期とバツイチに、昨日3年目から受けた情緒の批判っておかしくね?と話した。同様の話を3年目から聞いていたらしいが、かなりの偏向報道だったようで「そういう意味で言ってたんですね」「それなら理解ができます」と言われた。でも情緒って心理士の人が使いがちな言葉ではあるっぽい。そういうのを踏まえて、プリミティブを用いる際は注釈をつけながら話したんですよ〜言うたら「プリミティブは心理士でも行動派なら知らんのちゃいます?」言われた。そうなんか?なんちゅうか、互いの専門性を尊重しつつ、平べったい表現で歩み寄るのが大事ですね〜みたいなところに話は落ち着いた。それはそうと、自身の心証を良くする為に偏向報道をするのはダサいので、3年目ダッサ〜となった。当人はうちからの評価なぞどうでもよいだろうが、ダサいことをする奴が一番しょうもないので、この点に関してはがっかりした。こないして公開して書いてる日記なんぞは見栄の塊ではあるのであまり人のことは言えんが、会ったらちゃんと喋るよ。

それはそうとして、対人援助職における職場での雑談は研鑽の場ではないらしい。研鑽を大義名分とするが故に職場での雑談が許されていると認識していたので、これはかなり衝撃的だった。勿論表層的な仲良しをやることに一切の意味がないとは思わないので、意識的に軽口の中に批判と称賛と所感を織り交ぜるようにしていたのだが、これをダルがる人もいるらしい。いや、ダルいけどそれはやらなあかんことちゃうの?異なる専門性を有した者からの批判を重ね合うことが複合領域の魅力で、仕事に関係のありそうな点(というか対人援助において関係のない点など無いが)の批判は折に触れて行うようにしていたが、そうかあ。まあ、うちがそもそも好かれてへんだけかもしらんしな。これに文句言うてるん、まともっぽい人だけやし。まともっぽい人、うちも苦手やもん。葡萄は酸っぱい方が好きです。

写真の編集しながら作業通話いうのしよかな〜思ったが、眠くて寝てしまって、起きてから監督と2時間ほど電話で喋った。画一的なそれでなくとも、加齢に伴う変化の無い人と喋ってもつまらんね〜いうような話になった。

友達の誕生日なので、お祝いのメッセージを送った。GWに遊べるかもしれない。わしょい。

おわり