明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

230410

上間陽子の『海をあげる』と言語資本と読書の関連についての論文を読んだ。前者はまだ半分程しか読めていないが、後者は短いものだったので勤務中に読み終えることができた。

曰く、高度に言語を運用する能力は、単純に資本の再生産よって生じるのではなく、読書によって培われるものであるらしい。そういう力、あんまないよな〜と思う。

本を読むことが苦手だ。子供の頃に父から本を読めと口うるさく言われて偉人の伝記を読まされていたが、ちっとも面白くはなかった。中学の長期休暇の課題で読書感想文を書かされたときも、課題図書(パスタの歴史の本だったと記憶している)が何を言っているのかさっぱりわからず、「何を言っているのかさっぱりわかりませんでした」という旨を原稿用紙5枚分にわたって書いた覚えがある。人並よりは少し足りない程度に本を読み始めたのが院生になってからで、未だに文字を追うと目が滑るような感覚が抜けない。中高生の頃に漫画やニュー速のスレばかりを読んでいたせいかもしれない。

毎日飽きもせずに、いや、本当のところはちょっぴり飽きているのだが、それでも毎日Twitterや hatenablogにあることないことを書いているというのに、言語資本に寄与しているような感覚が小指の甘皮程にもない。狭い畑で耕作しても実りは少ない、畑を広げることが必要なのだ。それは、Twitterで目にする140文字の懐石料理のように嚥下が容易なテキストに触れるだけでは成し得ないもので、良書を何度も読み返すようなプロセスが必要なのだろう。『BLEACH』以外に何度も読み返した本ってあるんかな。いや、でもあれは漫画やしな。ちゃんとした本はないかもしらんな、本読むんって疲れるしな……などと言い訳を並べてアホのまま生涯を終えるのだろう。

眠る前にこの話を振ってきた友達と少し喋った 彼もこの日のことをよく覚えていたらしい 自主映画の撮影帰りに二条駅前の家系ラーメン店でこの話になった

おわり