明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

231113

岸政彦先生の研究室にお邪魔して、小一時間程お話しをさせてもらった。「君は人生の転機に立っとるな!」みたいな話から、心理士としてうちがやっている仕事とか、人文学の展望とか、岸さんの定年後のイメージとか、そういう話題が展開した。

Twitterのスペースで話題にあがった、関東で働くなら関西弁はやめた方が良いという話にもなった。恐らくは着ていた虎柄のシャツを指して「まあそういう服着てなかったら大丈夫(働ける)やろ」と言われたので、「こないな服仕事で着るわけありまへんがな〜」とお返事したら、「そういう関西弁やで!」と言われてしまった。参ったね。

直接指導を受けたわけではないのにこんなことを言うのも妙な話だが、岸さんには人生の先生というような印象を抱いている。現在訪れている転機が社会的なそれであるとするなら、個人としての在り方の転機は大学を出てふらふらしていた頃に偶々モグリで聴講した岸さんの講義に他ならないだろう。ウィットに富んだ喋りやインテリジェンスにときめいたというのも勿論あるが、あのように誠実な人でありたいとすっかり骨抜きにされてしまい、今日に至っている。

当時の講義で印象に残っているのが、確か構築主義の話の中で仰っていた、「(質的調査における)語りは相互作用の中で生まれる」ということだ。当時はなるほど?と思いながらノートに書いていたが、拙いなりにも実践を重ねる今では、ほんまに相互作用の連続やな〜と日々思わされている。こんなん言うたら「君らとはhabitusが違うやんか」とか言われそうだが。

フリーターの頃にモグリをやっていなくてもこういう仕事をしていたら、信田さよ子から派生して上間陽子や打越正行らの参与観察の著作に触れ、その流れからなんとなく岸政彦を支持することもあったのかもしれない。しかし、わたしの人生においては先の見えない季節に現れたという一役がどうしようもなくついてしまっており、それが何故だかとても嬉しい。

写真を撮らせてもらうつもりをしていたが、時計を見ずにお話しさせてもらっていたらいつの間にか講義寸前の時間になっており、撮影は次回に持ち越しとなった。次回?なんか普通に、お世話になりました〜ほなさいなら〜みたいな感じになると思っていたのだが、ありがたいことに「またおいで」と言ってもらえたので、京都を出るまでにまた寄せさせてもらおう。

雨上がりの空は晴れ渡っていた。いや〜絶好の撮影日和なのに惜しい!百万遍周辺で少し写真を撮ってから帰った。

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眠る前に恋人と話した。向こうのお母さんが埼玉のそういうところにわたしの求人について尋ねていたようで、募集期間は終わっているものの引く手数多らしく、改めて本人が電話しますね〜というような状態になっているらしい。どういう状態なんだ。とりあえず明日電話しよう。

おわり