明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

ゆるめるモ!の元ファンとして紅白の『アイドル』を観て思ったこと

2023年の紅白歌合戦でYOASOBIが披露した『アイドル』の演出が、それはもうすごかった。YouTubeの公式映像では件の演出直後のラスサビからしか視聴することができないものの、YOASOBIのメンバーを囲うように紅白に出演したアイドル達が踊る様子からも伝わるものがあるだろう。

『アイドル』は漫画『【推しの子】』を原作とした(厳密には派生作の小説だが)楽曲で、作中の登場人物の嘘を武器に天性の輝きを放ったアイドル・アイ自身、ひいては『【推しの子】』全体やアイドル文化そのものを指しているともいえる詞が歌われている。

件の演出は、圧倒的な一番人気のアイを妬む同じアイドルグループのメンバーの独白のようなフレーズのラップパートから始まる。それまではYOASOBIのメンバーを中心に捉えていたカメラが大きく動き、楽曲に合わせて踊るアイドル達に焦点が当たる。踊るのは先の通り紅白に出演するアイドル達で、乃木坂や櫻坂といった現在の日本女性アイドルのトップランナーや、インスパイア元の日本アイドル文化を超越して今や世界的な人気を獲得したNewJeansやNiziUやJO1ら、錚々たる顔ぶれである。奇しくも、ここに旧ジャニーズ事務所の面々は不在だ。彼らが出演していたならば、この添え物とパラフレーズさせるような演出は実現しただろうか。多忙を縫って出演する韓ドルが日本のアイドルに合わせてヌルい踊りを披露する中、最後に登場したのが最早アイドルではない橋本環奈とあの(歌手としての名義はano)である。アイの子供であるアクアとルビーを指した詞に合わせて橋本とあのがポーズを取る。これが、彼女らがアイドルとして活動していた2015年に"天使と悪魔の最終決戦"としてTwitter上で注目を集めた写真と同じものであり、最後に2人で手のハートを作りラスサビへと向かっていく、というものである。

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f:id:Halprogram:20240102031604j:image悪魔 あの

f:id:Halprogram:20240102031608j:image天使 橋本環奈 尚、あのと異なりこちらの撮影時期は2013年5月3日 "奇跡の一枚"とも呼ばれる

この演出の反響は大きく、Twitterでは方々からもっともらしいご意見が流れてくる。其々の観点からああだこうだ言っているのを目にすると自分の感想が濁りそうなので、そういったものを一旦傍に置いて、ゆるめるモ!の元ファンとして昨日の『アイドル』を観て聴いた感想を綴りたい。だが、今となってはあののことは知っていても、アイドルとしてのあのを知らないという人も多かろうということで、簡潔に彼女のキャリアについて触れておく。

あのは2013年9月21日にゆるめるモ!3期生としてキャリアをスタートさせた。Wikipediaを見るとニュー・ウェイブガールズグループと表記されているが、地下アイドルと思ってもらって問題ない。あの加入後のゆるめるモ!は2014年に初のフルアルバムのリリースとLIQUIDROOMで初のワンマンライブを成功させ、2015年には後藤まりこ中村弘二ミドリカワ書房らからの楽曲提供を受け2ndアルバムをリリース、2016年には最大8人いたメンバーが4人にまで減ったものの、テレビ東京の深夜バラエティを中心にメディア露出を増やし(あのと山里亮太の親密さはここを起点としている)、ツアーの規模もZeppが埋まる程まで大きくなり、でんぱ組.incに続くネクストブレイクアイドルグループとしてアイドル好きから注目を集めていた。

しかし、ゆるめるモ!はブレイクしなかった。2019年にメンバーの中でも突出した人気を誇っていたあのが松岡一哲と川島小鳥による写真集をリリースしたり、単体で『しゃべくり007』にゲスト出演するといった話題こそあったものの、グループとしてブレイクすることはなく、精神的な限界を迎えたあのはこの年の夏に"卒業"ではなく"脱退"としてゆるめるモ!から離脱した。

ゆるめるモ!でのあのは、グループの顔かつ不確定要素だった。ライブ後に箱を抜け出しセンター街で過呼吸になって倒れているところを保護されたり、えげつないリストカットの画像をTwitterに投稿したり、場面を問わず不穏な発言をしたり。

だが、一度ライブとなると彼女は燦然と輝くのである。時に情熱的に、時に気怠げに、音楽の刹那性を教えてくれる。

彼女のパフォーマンスの影響力は音楽に限らない。2015年頃には、黒髪ボブに姫カットで肌を白く見せ涙袋に赤いチークを添えた、所謂"あのギャル"が生まれる。先の"天使と悪魔の最終決戦"のツイートが人気を博したのもその年だ。2018年頃には街やTwitterのそこかしこであのギャルを見かけた。また、新自由主義的な息苦しさが社会に蔓延する中で、成り行きに身を任せながらも、やりたいことをやるという信念を曲げずに自らの居場所を勝ち取る彼女を支持した者も多くいたように思う。

あのは多くのファンを獲得した。一方で、ゆるめるモ!はアイドルファンであれば知っている、程度の域を脱することができなかった。ファンから見た当時の印象としては、メンバーが6人いた頃は辛うじて一枚岩というような雰囲気がグループにあり、その歪さが魅力的だった。先の通り、楽曲提供の布陣も豪華になり、将来には期待が持てた。

しかし、2016年にグループがメジャーデビューを目指すに際してバンド寄りの方向性となっていく計画に反対し、あのに次ぐ人気のメンバー2人が一気に卒業したことで、グループの歯車が狂い始める。以前にも増してグループの人気はあの頼みとなり、あのの露出ばかりが増える。2人のメンバーを追いやったにも拘らず、一向にメジャーデビューも果たせないまま、アイドルファン以外が知る代表曲も出せないまま、あのはグループを脱退した。あのの胸中は知り得ないが、推し量るに余りある負担があったのだろう。

その後の活躍は知っての通りだ。King Gnuの井口との交際報道で"井口の女の元アイドル"として世間を少しばかり騒がせた翌年に、『水曜日のダウンタウン』の企画でブレイク。タレントとして大活躍する一方で、2020年からは歌手anoとして音楽活動を再開し、2021年からはI'sのボーカルとギターとしても活動している。

ようやく本題に戻れる。そのあのが、『アイドル』の最も演出に力の入ったパートの大トリを橋本環奈と共に飾ったのである。月並な表現にはなるが、鳥肌が立った。

"奇跡の一枚"が話題になって以降、橋本は順調にスターダムを駆け上がった。一方のあのは、"天使と悪魔の最終決戦"で橋本と並び称されたにも拘らず、ネット上の人気ばかりで世間的な知名度が低い状態が続いた。しかし、2023年末のこの瞬間の風速は間違いなくあのが勝っていた。アイドルを辞めたあのが、アイドルを歌った大ヒット曲で、世界的な人気を誇るアイドル達を引き立て役に、アイドル時代に並び称された橋本と、8年を経て紅白歌合戦のステージで再び肩を並べたのだ。これが涙無しに観れるだろうか。

いつだったかのInstagramのストーリーズで、あのは「もう二度とアイドルをやることはない」という旨のことを言っていた。しかしどうだろう。傷を負いながらも、やりたいことをやるという己の信念を貫き通したあのが社会で自らの居場所を勝ち取る姿は、正しく原義のidolではないか。

おわり