明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

240305

非常に腹立たしいことと非常に喜ばしいことがあり、感情が大忙し。

前者は父親からの手紙。渡したいものがあるとかで通院時に母親と一緒になり、診察室に入る際に医者と読んでと言われて預けられた。結婚を祝う文言に、父方の祖母と会えと相手本人及び両親に会わせろという要求が添えられており、要求それ自体は了解可能なものの、わたしが受けてきた抑圧に対する批判を丸ごと無視したような筆致が到底承服できたものではなかった。保守的な村社会家系の核家族におけるひとりっ子が、生活を盾に自立の為の様々な可能性を潰されてきたことに対する怒りが沸々と込み上げてくる。父親が嫌いであっても父方の祖母に瑕疵は無いのだから会ってやってくれとも綴られていたが、家父長制を強く内在化させうちにそれを強いる構造を維持してきた祖母を許せるはずがないだろう。挙句、幼少期のうちが半ば言い聞かせるように言っていた「どんな親でも親は親」という文言を引き合いに出してきたので、思わず手紙を紙屑のように握って球体にしてしまった。

母親を診察室に呼び、医師の目の下どういう了見なのかを問う。家庭内での立場もあり、手紙を渡してきたことについてはやむを得ないとは思うが、この内容についてどう考えているのか。すると、「お前の怒りは理解できるが、こちらも初めての子育てなのだから失敗があっても仕方がない、コミュニケーションには双方に責任があり、どっちもどっち」として、実際うちがどうするかと別で、手紙に綴られた文言は妥当であるとしていた。ミドルティーン以降うちの批判を知的に低いから理解ができないと泣いて躱し、母親を泣かせたことでうちが父親に怒られるという構造を無視してきたことと重なる。親としての矜持は無いんか?権力構造を自覚してへんのか?と問うたが、今日もうちの言うてることが理解し難かったらしい。医師はうちのそういった言動もやむを得ないとしてくれていた。うちの主治医なので母親不利の環境下ではあったが、これはうちの家庭内での環境が再現されていると思ってもらいたい。今回の診察では話がつかなかったので、次回また話すことに。その時点で親の顔合わせは済んでしまっているが。

診察後、大学院でお世話になった先生と会う。3年ぶりとかか。昔を懐かしみつつ、近況について話し、祝福を受けた。陽だまりのような先生だったな、本当に。うちがOCDやったという話をしたら、先生もそれらしい症状が出たことがあったが、「引っ越したら忘れちゃった」「生きてたら1回くらいそういうのって起きるんだと思うよ」と言っていて、かなり希望の光だった。しかし、離籍してからもこうして会っていただけるだなんて、本当に嬉しい限りだわね。LINEの連絡先も交換させてもらえた。

あとはなんだろう、職場4の上司に飲みに行こうと言ってもらえたことも嬉しかった。これは職場4の年度末慰労会に我々が参加できなければの話になるが。

最近Netflixで『コードギアス 反逆のルルーシュ』を観ているが、これは父親殺しの物語だ。『BLEACH』もそう。だから惹かれる部分があるのかもしれない。

f:id:Halprogram:20240306105338j:imagef:id:Halprogram:20240306105334j:imageめでたい

おわり