明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

220324

通院の為に有給を使った。これで4度目だろうか。担当医の出勤日の都合で、木曜日ばかり休んでいる。堪忍ね、最終週は這ってでも出るからね、と上司に言って手続きの書類を提出した。来週の木曜日は今年度の最終日だ。

さして大きくもない物音に対してビクッと震えてしまうという話を医者にした。何らかの薬を増やすことを提案され、二つ返事で了承した。最近変わったことは何かあったかと問われ、携帯電話ではあるが写真を撮れるようになったことと、服を買った話をした。とてもいいことなので、続けてほしい、できればカメラを使って写真撮影をしてほしいと、そう言われた。頑張っていますね、とも言われたが、出された薬を飲んでいるだけだ。

受診を終え、例によって出町柳周辺を散策した。西は御所の手前あたりから東は百万遍まで、今出川での日々を懐かしみながら歩いた。

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iPhoneで写真を撮ると、その場でインターネットに投稿することができる。目の前に広がる景色を、即時的に他者へ見せるができる。これがいかに画期的なことであるか、Twitterに写真をあげつつ散歩をしながら考えていた。そもそも昔はインターネットはおろか、フィルムしかなかったのだから、撮れた写真の出来もすぐには分からなかったんだよな。何もかもが簡略化されて、オミットされた過程に潜む本質的ではない大切なものが蔑ろにされることを寂しく思う一方で、それでも利便性に抗うことは難しく、今日もiPhoneで写真を撮った。そういえば、ZEISSがZX1というAndroid搭載のコンパクトカメラを出していたことを思い出し、各種レビューサイトの記事を読んだ。写真機としてはさておき、スマートフォンのような操作性を期待するとがっかりすること請け合いというような内容で、このカメラが一層愛おしく思えてきた。AndroidLightroomを搭載した革新的なカメラが、レンズとセンサーと外観が優れたギークの玩具と評される、ダメっ子ぷりがたまらない。お金が余って仕方のない富豪になったら、このカメラを使ってみたい。

Twitterでスペースを開いたら、岸政彦さんが来られた。向こうが覚えているかは知らないが、Clubhouseで何度かお話ししたことがあったので、極端に緊張することはなかったものの、そもそもスペースに参加される方だとは思っていなかったので、めちゃくちゃにびっくりした。科研費を巡って事務と喧嘩をしているという話の後に、臨床心理学と社会学が似ているという話は嘘だ、というような話になった。生活の歴史を聞き取るという行為の表層は同じでも、社会学と臨床心理学では聞き取る者の立場が大きく異なる。治療構造という言葉が示すように、心理士は治す側として金銭を受け取り、語り手たるCl.は治してくれと請う側になる一方で、社会学の聞き取り調査では、聞き手が語り手に頭を下げ手土産を持参してお話を聞かせてもらう、という構造になっている。「だから心理士は金取ってるんやったらちゃんと治せ!(笑)」というような、大意としてはそういうことだったと思う。わたしの仕事の話をして、「そういうテクニカルなアプローチは理解できる」「心理士でメシ食えてるんやったら立派やな」というようなお言葉を戴いた。岸さんの飼い猫のおはぎちゃんときなこちゃんの名前を間違えたり、『断片的なものの社会学』の内容を『街の人生』のそれだと勘違いしていたり、『言葉を失ったあとで』(信田さよ子,上間陽子 2021)刊行記念の対談を読み損ねていたりと、要所でボロが出る喋りをしてしまった。いつか、もっとシャキッとしたところをお見せしたいものだ。5年前に授業を潜って盗み聴きしていただけの、関係とも呼べないような関係から、こうして偶にとはいえお話しすることができるまでになったのだ。生きていたら、そんな機会もあるだろう。スペースには岸さんのフォロワーが何十人と来ていたが、誰もスピーカー申請を出して来なかった為に、心理士を代表して喋っているかのような感覚に陥り、とても恐れ多かった。「カウンセリングって何回も通った方がええもんなんやろ?」と尋ねられたので、繰り返されるセッションの中で手を替え品を替え表現されるテーマがあり、それを見出すことや、その繰り返しの中で生じる小さな差異を掬い取ることに意義の一つがあるので、話してもいいと思える相手であれば続けてお話しした方がいいですね、というようなお返事をした。駆け出しの折衷派にありがちな、素朴理論にも近い受け答えだけれど、大きく間違ってはいないだろう。とりあえず、『言葉を失ったあとで』の取り寄せを依頼した。

明日からの1週間は、各曜日で今年度最後の出勤となる。いつもの味気ないビッグシルエットのフーディではなく、少しいい感じの服でも着てみようかしら。専門職の佇まいとして好ましい服装と、わたしの好きな服装の間にはそれなりに大きな隔たりがあるように思うが、確固たる答えはまだ見つけられていない。その質感を確かめる為にも、明日は少し遊んでみよう。気分が良ければ、オレンジ色のスノーパーカーに茶色いペイズリー柄のシャツを合わせて、ボトムスは黒いスキニーでいいか。なんか秋っぽい色やな。まあ、細かいことは明日考えよう。

おわり