明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

220427

強い眠気から、昼過ぎまで頭を働かせることができなかった。休日の午前は本を読んで過ごしたいのだが、中々うまくいかない。ベッドの上で腰を捻り、バキバキと音を鳴らす。日々の数少ない楽しみがこれだ。もっとマシな楽しみがほしい。

絶対大丈夫さんのむしょく日記がとても良い。

月並みな言い方になるけれど、構成の良さと手書きの温かみがあり、そこにどこか投げ槍で退廃的なテイストが加わることで味わい深いものになっている。挿入される絵で突如提示される情報も、日記を軽妙なものにしている。是非毎日書いてほしい。というか、フォロイーは全員日記を書いてほしい。読むから。

岸政彦さんの京都大学の講義に潜った。5年前と違い(2017年が5年前!?)、流行病から今回は潜りを控えようかと思っていたが、Twitterを見るに結構な数の人が潜りをやっているようだったので、自分だけが我慢するのもアホらしく思え、今週からは都合がつけば聴講することにした。今回は『マンゴーと手榴弾』で書かれていた、鉤括弧を外すことについての議論を中心に講義が展開した。恐らくは、ここから他者理解の合理性について、社会問題がどのように規定されるかを踏まえて説明が行われるのではないか、と睨んでいる。

(4/28追記:鉤括弧を外すとは、簡単に言えば、語り手の語りを一般化し、その内容にコミットすることを指す。)

f:id:Halprogram:20220427234853j:image百万遍で見かける若者、全員頭良さそうに見える

院生の頃、他者理解の合理性について教員に話したところ、開口一番に「それは認知の歪みや短期報酬で説明できるね」と言われたことがあり、わたしはその言葉に何とも言えない冷たさを覚えた。確かに、一見して合理的でない選択には、認知バイアスによる思考の偏りや、短期的な快楽に目が眩んだ場合もあるだろう。だが、そうして批判的なスティグマを押すことの先に、果たして他者理解は存在するのだろうか。勿論、当事者を前にしてこのようなことは言わないだろうし、学生相手に臨床心理学の基本のキを教えてやろうという教員の心遣いではあったのだろう。しかし、わたしがしたかった話は、非合理な選択や認知に至る理由を、相手に対する敬意を損なわずに前向きに探求するにはどのようにしたものか、というような話だった。わたしの説明が下手だったのかもしれないが、それが上手く伝わらなかったことを今でも残念に思っている。

講義終了後、質疑応答の時間があり、少しだけ岸さんにお話しをしていただいた。以前、Twitterのスペースでお話しした際に、社会学と臨床心理学は似てない!という話になったことを踏まえた上で、鉤括弧を外すことについて、素朴な所感を聞いていただいた。

心理面接において、鉤括弧は外されたり、そのままにされたり、その此彼を揺蕩っている。例えば、統合失調症の人が見ている、我々が知覚しているものとは異なる世界の話を聞くことがある。その際に、「そんなもんは嘘や!」と言ってしまえば、それは支援者失格の烙印を押されても仕方ないだろう。これは岸さんも今回の講義中に話されていた通りだ。しかし、その世界の深淵へ心理士が誘うことが正しいわけでもない。このような場合、わたしであれば、「そういう風に思われたんですねえ」というような、鉤括弧を外しつつ、語られた内容にコミットし切らない関わりを持つだろう。岸さんは、鉤括弧を外さないことを臨床的だと表現していた。心理療法は、通常のコミュニケーションと異なり、何故そのように思うのかを探求する、問答のような面が確かにある。しかし、情緒的な交わりの一切を排した修行のようなセッションに、クライエントがついていけることは極々稀なことだろう。だから、心理士は鉤括弧を外したりそのままにしたりする、というような話を、うまくまとめられないまま、聞いていただいた。

また、臨床心理学と社会学は目的と聞き手の立場が違うというのはその通りだが、目的を達成するまでの過程に語り手の理解が必須だという点までは共通するのではないか?というような質問をしたところ、賛同してもらうことができた。これはとても嬉しかった。

質疑応答に際して、「明るい生活です」と名乗ったところ、「君が明るい生活か!40代人妻やと思ってたわ!」とボケられた。しょうもないbioをいじられて、くすぐったい嬉しさがあった。「来週も来る?」と尋ねられたので、また行こうと思う。次の5/11は少し怪しいが。7月までは週1回の楽しみができた。

岸さんの講義の情報を教えてくれた平田オリザの大学の学生2人と、百万遍サイゼリヤで少し喋った。彼女達は岸さんを大学の集中講義に呼びたいようで、そのように思うに至った理由について聞かせてもらった。聞かせてもらった、といっても、今一つ考えがまとまっていないようだったので、共に理由を探求するような会話だったように思う。2人の内の1人がサイゼリヤは初めてとのことだったので、人生初サイゼにインターネットのようわからん奴と一緒に行くのって今時の若者っぽいなあと思わされた。Twitterの投稿を見るに19歳らしく、仕事と親戚以外で10代と喋ることがあるとは……という妙な感慨深さがあった。

出町柳までの帰り道で、何故心理士になったのかと尋ねられた。B4の時点で仕事も見つからなかったし、働きたくもなかったので、知り合いの研究室に転がり込んだらこうなった、と説明したところ、「就活の自己PRのような変に良く見せようとするストーリーを作っていないのが良い」というようなことを言われた。そういう、妙な意味付けをしないという姿勢は岸さんも好きそうだね、と返答したところ、「だから岸さんって面白いんだ!」と得心した様子だった。よかったね。恐らく、彼女達は岸さんに触れて、世界が拡張されていくような感覚を覚えているんだろうな、と思わされた。かつてわたしがそうであったように。

f:id:Halprogram:20220427234909j:image2018年4月21日 散乱した机の端に『愛と欲望の雑談』(雨宮まみ,岸政彦 2016)

0658のブルゾンとチョーカーを買った。お金がない。助けてくれ。月末の給料日を震えながら待つより他ないわね。

これ買ったらお揃いになるよ

おわり