明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

220503

刷り込みという現象がある。動物の赤子が初めて目にした成体を親だと認識する、有名なあれのことだ。人間においても、一度このようなものだと思ったものを、新しいフレームで捉え直すことは中々に難しいように思う。

大学の先輩と2年ぶりに会った。この先輩は、ほんの何年か前までは大学のBOXで毎日のように顔を合わせていた。それが、卒業を機に散り散りとなって以来、遠い人のように感じるようになった。恐らく、毎日のように顔を合わせる関係から、遠方の友人としての関係に移行させることに、わたしが失敗しているのだ。また、大学コミュニティの延長戦のような緩やかな連帯が関東で続いてよりガラパコス化したノリが形成されていることや、わたしの社会進出の遅れも、かつての友人達との距離感を覚える要因となった。

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今回の誘いを受けた際も、ありがたく思う気持ちと同時に、この人と楽しく過ごせるのか?という一抹の不安が生じた。昔の友人にカテゴライズした、言わば過去の人を現在の生活に登場させることで、双方の麗しい思い出が壊れないか。

結果として、この心配は杞憂に終わった。わたし個人に焦点を当てようとしてくれている個人との一対一のコミュニケーションにおいては、わたしが相手を拒まない限りは問題が生じないことが分かった。集団でなければ、昔の友人とも違和感なく過ごすことができそうだ。あるいは、今日の先輩が特段配慮のできる人であったのかもしれないが、それでも全てを過去にしてしまわなくても良いかもしれないという希望が見えたことは、とても大きい。

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大学生の頃の自分を思い出すと嫌な気分になる、当時から劇的に何かが変わったわけでもないが、当時の品性に欠けるわたしを支持して今尚良く思ってくれている人間がいることが怖い、という話をしたら、「お前はそんなに変わってないよ」と返された。頭でっかちになっていただけで、何も変わらないまま大きな子供になっているのだな、とつくづく情けない気持ちになる。

ファッションを主体的に選択できない、という話をした。わたしは顔はまあまあな一方でスタイルが終わっているので、王道のファッションではなくチンドン屋のような容貌になることで勝てる土俵に上がっているが、本当はFUDGEのような人間になりたい!というようなことを言ったように思う。

f:id:Halprogram:20220503235840j:image先輩が撮ったわたし
f:id:Halprogram:20220503235837j:image先輩

書きたいことが山程あるが、個人からかけられた嬉しい言葉は秘めるようにした方がいいのかもしれない、という思いから、今日はここまでにしようと思う。先輩と京都を歩けて良かった。またいずれ、こんな機会があると嬉しい。

帰り際に、父方の実家に寄り、仏壇の燐を鳴らして即帰宅した。二度と行きたくない。

おわり