明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

220603

日記の出来が今ひとつ気に入らなかったとき、日記更新ツイートに「読まなくていいです」というリプライを添えていたが、それならそもそもツイートしなければいいのではないか?という考えに至り、昨日はそういったツイートをせずに日記だけを投稿した。これからも、毎日日記を書くことと別で、ツイートに関してはこのようにしていこうと思う。

日付を跨ぐギリギリになって慌てて書く日記に出来もへったくれもないような気もするが、書いた後の手応えのようなものは日によってそれなりに違ったりする。手応えのない日の日記のパターンは大別して3つあり、1行しか書くことができなかった日のものと、事実の羅列のみで終わってしまった日のものと、思考がまとまらず話の落とし所はおろか展開さえ今ひとつ得心のいかないものに分類される。特に一番最後のものが厄介で、あれこれ考えて綴った割に書いた甲斐もなければ、人に読ませるのも気が引ける冗長さで、公開してからも何の為に書いたテキストなのかわからず辟易する。人と会ったり話したりした日などは、興奮さめやらぬ状態で書くせいか、体験によって受けた感動と日記の内容が釣り合わないことが多く、後になって考えが整理されてから読み返すと非常にもどかしくなる。しかし、いつかの千葉雅也のツイートに、校正などは後回しにして、素人こそとにかく熱量のままに書けというようなものがあったような気がするので、とりあえず書いて、人目に触れるように公開だけはするようにしようと思う。その先に何があるのかも知らないが。

反対に、1日の出来事の中に一つの芯のような、通底するテーマがあったことに気付かされる日記を書けた際の手応えはひとしおだ。今日という日に意味が与えられたような、そんな気がして気分良く床に就くことができる。制限時間1時間(23時頃に書き始めるというだけで、本来1時間制限は無いのだが)でコンセプチュアルなテキストを毎日書くには、心の感度が鈍だ。先述の、とにかく書き続けた先に何があるかという問いの答えは、心の感度を上げることであるのかもしれないと、ここまで書いて思った。そういえば、Twitterも機微や思考を精緻に綴る練習として使っていたんだった。

3年目と、あなたは他者への関心が無いですよね、という話になった。不躾に言い当てにかかったというわけでもなく、会話の流れで自然とこうなったのだが、他でもない他者としてこういった話題を取り扱うのは、何度経験しても慣れない。3年目曰く、昔は人に興味を持とうと努力したこともあったが、悉くうまくいかなかった、主に恋愛でそういう失敗をしてきた、とのことだった。この人をどうこう、というつもりはさらさら無いものの、悪くは思っていない異性から恋愛の話を提示されるとオッ!という気分になる。色恋の話など、自身の痴態を晒すことと同義だと思っている節があり、それを見せてやってもいいと思われているということによって、「死ねやゲロブタがキショいんじゃボケ!!!」みたいなことを恐らくは思われていないと保証されたような気がするから。

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おわり