明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

220608

寒いというだけのことで半年程控えていた散歩を解禁、もう6月だものね。

東山区の寂れた街並みをぐるぐると巡る。幼い頃は祖父とよく散歩に出た。保育園児の集団とすれ違った際、しっかりと挨拶が出来ていた為に、引率の保育士に褒められていたというエピソードを何度も聞かされたのを覚えている。

通ったことのない道を進むと、見晴らしのいい高台に通じていた。京都タワーが見える。

何年か前に京都タワーに登った際に、京都市が一望できることにいたく感動したことを覚えているが、あそこから見えた景色の中にここも含まれていたのだろうなと思うと妙な気分になる。自分が今立っているこの場所は、今この瞬間は京都タワーと共に意識の中心にあるにも拘らず、京都タワーから街を見渡した際は景色の一部でしかなかった。この非対称性にそわそわするのだ。生徒は先生のことを覚えているが、多くの生徒を抱える先生は生徒のことを一々覚えていない構図に似たものを感じる。

ツイートにもあるように、知らない道を歩いていたら、帰りに迷子になってしまった。スマートフォンとは便利なもので、位置情報の移り変わりを表示してくれるアプリのお陰で無事に帰ることができた。文明の利器様々やね。しかし、最短の道のりを一発で見つけてもらい、それに従うというのは少しばかり味気ない気もするので難儀だ。回り道や寄り道の過程にこそ、おいしい木の実が落ちているような気がしてならない。

f:id:Halprogram:20220608234237j:image捨てられてストーブ

おわり