明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

220610

誰かに似ていると言われるとき、相手の意図と別で自動的にムッとしてしまう。容姿についてであれば、対象によって嬉しく思うこともあるが、性格や振る舞いのような内面的なものを指してのことで喜んだ試しが一度でもあっただろうか。これは、自身がオリジナリティに溢れた唯一無二の存在である為に、他者との共通項を見出されることに憤っているのではない。自分でもはっきりとしたことはわかっていないが、恐らくは自尊感情の乏しさから、似ているとされる他者の粗探しを行なってしまうことにうんざりしているのだ。

「生活さんってボスと似てますよね」と3年目に言われた。ボスとは事業所1のボスであり、お兄系の成れの果てのような出立の小太り中年男性と言えば何となくイメージが湧くだろうか。3年目曰く、コミュニケーションの取り方や、取り扱う題材が似通っているとのことであった。具体的にどやねんと尋ねたところ、3年目が事業所1に異動となった初日に、ボスとわたしから今まで呼ばれてきた渾名を質問され、「今まで呼ばれたことのない渾名で呼びたいから」というのがその理由であるというところまで一致していた為にそのように感じたとのことであった。動機まで一致しているとなると反論も難しい。「しかし、ボスはどつくやらしばくやらいてまうぞやら、そういうことは言いまへんがな。うちとはちゃいまっせ」とひろゆき譲りの論点ずらしで対抗するも、「それは表層的な部分であって、しかも生活さんって本当にどつかないじゃないですか」と完膚なきまでに言い負かされてしまった。

ボス似を否認する抵抗には理由がある。ボスに対して上司としてそれなりの信頼を寄せていることと別で、氏は40手前にして20代前半の歳下上司にゃんからの猛アタックに屈し、曖昧な交際を数年にわたり続けており、その点において同情の余地はあれどシャッキリせんかい!の思いがわたしにはかなり強くあるのだ。これは歳下上司にゃんに絆されたからこのような立場を取っているわけではなく、女の若い時代を悶々とした思いと共に消費させる男に対する並々ならぬ憤りが普遍的にあり、それがボスにも適用されているというだけのことである。故に、ボスと似ていると言われることは嬉しくない!と、最早似ていることを実質的に認めた上で遺憾の意を表明したところ、「でも生活さんも押しに弱いから、同じ立場でアプローチを受けたらそうしてそうですよね」とトドメを刺された。何も言えない。

ボスにも良いところってありますよね、だから我々はボスの下で働いているんですもんね、と確認するように3年目に問いかける。そうですね、と3年目が応じた横から、「あれは反面教師にしいや。あんた出世したらあいつみたいに仕事めっちゃ任されるようになるで、ヒラのままでいとき」とセクハラのありがたいお言葉が飛んできた。ボスみたいに出来が良かったらそんな心配も必要かもしれまへんな、頭の隅に留めときますわ、とお返事をした。

顔が似ている著名人として、神聖かまってちゃんのボーカルの人を挙げられることがしばしばある。氏の知名度的にも、彼の名前を挙げてくる人は彼のバンドのファンで、好意的な意味合いでそのように言ってくれる場合が多いのだが、わたしは彼の顔が好みではないので本当に嬉しくない。顔が似ていると言われて嬉しかった著名人は香椎由宇と金与正です。わたしの顔を目にする機会があれば、嘘でも良いのでそのように言っていただけると幸いです。

f:id:Halprogram:20220610235639j:image2020年6月10日 安価でそれなりにおいしいラーメン

おわり