明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

220614

写真が好きなのか、カメラが好きなのか、分からなくなることがある。先立っていたのは写真への関心だったはずが、カメラの蘊蓄にばかり明るくなり、肝心な撮影技術がおざなりになってしまっているような、そういう感覚がある。

写真編集の為にiPhone13proを導入してしばらく経つが、5月以降はLEICA Q2やSIGMA fp Lといった気合の入ったカメラを持ち出す機会が激減してしまった。気合の入ったカメラを持ち出すことに気後れしてしまっているのだ。その為、この頃は専らiPhoneで写真を撮ってきたが、やはり物足りない。それは画質だけではなく、撮影を行うモチベーションの問題がかなり大きい。スマートフォンのカメラでサッと撮るのも楽しいが、ファインダーでないにしても、背面モニターと睨めっこして光の入り方や構図を考えながら撮るような、そういう楽しみは写真撮影に特化したデバイスでこそ強く感じるものだろう。

数週間前よりおばあちゃんの家に拠点を移した為に、実家の防湿設備にアクセスし辛くなったことから、おばあちゃんの家で使う用のカメラを導入する必要が生じてきた。我ながら新しいカメラで遊ぶ為の言い訳が強引な気もするが、幸いにもメルカリポイントがかなり残っていた為、無理をすることなく購入に踏み切ることができた。テンポがいいね。

結論として、SIGMA dp2 Quattroというカメラを購入した。8年前に出た古い機種になるが、FoveonというSIGMA独自のセンサーの表現にはカルト的な人気があり、一度使ってみたいと長らく思っていた為、この度お迎えすることとした。AFも遅ければ連写も効かず高感度は使い物にならずバッテリーも保たない、そんなカメラを買うことに一抹の不安が無いと言えば嘘になる。しかしその不便さが、フィルムの時代から連綿と続く写真撮影という行為の本質に迫らせてくれるような、そんな気がするのだ。

わたしの写真趣味に影響を与えた祖父は、易々とシャッターを切らない人だった。一球入魂とでも言うのだろうか、とにかく気合を入れて納得のいく一枚の写真を撮るという、フィルムユーザーならではの撮影スタイルを持っていた。それはデジタルカメラの時代になっても変わらず、わたしが連写して撮った写真を見て、「そんな同じようなん何枚も要らんの違うか」と言われたことを覚えている。どちらのスタイルが正解ということはないが、dp2Qは祖父のような写真の撮り方をする人に向いたカメラだと思う。おじいちゃんとおばあちゃんの家にいることで生じた心の余裕が、このカメラにわたしを導いたような気がする。

長々とどうでもええこと書いてもうた。まあこれからモリモリ撮るつもりやから、見てといてくれや。

f:id:Halprogram:20220614234517j:imageいい感じに溜まったゴミ袋を見かけると撮りたくなる
f:id:Halprogram:20220614235012j:image2015年6月14日 誰にも合ってないピントと花火の煙がぼんやりと過ごした大学生活を象徴しているようでお気に入りの一枚

おわり