明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

『BLEACH』を評するスラング"オサレ"の歴史と用法

序論
漫画『BLEACH』及び、久保帯人氏の関連作品を評するインターネットスラングに"オサレ"というものがある。これは洗練された様を示す"お洒落"から転じた言葉であり、今日では作中に登場する詩やネーミング及びセリフ回しに代表される言語センスや、00年代としては目新しかった和洋を織り交ぜた作風及びキャラクターデザインのスタイリッシュさ等を指した、肯定的な語として用いられることが多い。アニメ版において、主人公である黒崎一護役の声優を務めた森田成一氏が、久保氏の画集『JET』の刊行を記念したLINE LIVEにて、「オサレ」と発言したことは記憶に新しい。
しかし、"オサレ"とは元来、『BLEACH』や久保氏の作風を揶揄する侮蔑語であった。管見の限りでは、作品人気の高かった破面篇終盤や、週刊少年ジャンプ誌上における掲載順が下位に落ち着いた死神代行消失篇の連載当時、2009年から2011年頃においては、物語の進行の遅さを揶揄する"ライブ感(その場のノリで展開を決めて漫画を描いている)"や"カルピス(の原液を大量の水で薄めたような展開)"と並んで、『BLEACH』を揶揄する際にインターネット上で盛んに用いられていたと記憶している。主たる用法としては、冒頭で述べた肯定的な用法の際にも対象となった、詩やネーミング及びセリフ回しに代表される言語センス及びキャラクターデザイン、そしてバトル描写にしばしば見られるある種の唐突な展開に対して、読者の理解が及ばなかった際に用いられることが常であった。このように、幾重にも張り巡らされた作者の意図を無視し、描写の特異性のみを取り上げ、読者自身のの理解力不足を棚上げし、作者の力量不足として転嫁する侮蔑的な意味を持ったスラングが"オサレ"だったのである。『BLEACH』や久保氏のファンからすれば屈辱的とも言えるこのスラングが、肯定的な意味に転じた経緯は定かではなく、謎に包まれている。
そこで、本稿では、漫画『BLEACH』及び久保帯人氏への評としての"オサレ"が誕生した経緯、並びに用法の変遷を辿る。それによって、この現象の構造について論考すると共に、"オサレ"の是非を問いたい。


オサレの初出・本来の意味
"オサレ"という語の初出は男爵ディーノ(現・架神恭介)氏のサイト『カガミ・ドット・ネット』の2007年4月16日の投稿に遡る。当該サイトでは2007年当時、週刊少年ジャンプの感想記事を毎週公開しており、記事中でBLEACHへ言及を行う際にOSR(オサレ値)という形で登場した。以下に、"オサレ"の初出となった当該記事の一部を引用する。

ブリーチ
アーロニーロ戦と同じく、不意を突いて攻撃した一護ですが、ウルキオラさんを貫くことは出来ませんでした。
ルキアにあって、一護にないものはなんでしょうか?
そう、回想シーンです。
つまり、一護にはOSR(オサレ値)が足りなかったのです。
この前に一護は家族のことなどを思い出してOSRを高めるべきでした。
一護に足りなかったのは、ただ回想シーンだけなのです。

引用部分からは、"朽木ルキアがアーロニーロ・アルルエリから勝利を収める直前に志波海燕との回想が行われたことに対し、黒崎一護は回想を行わなかった為にウルキオラ・シファーに勝利することができなかった。"という主張があることが見て取れる。しかしながら、この部分だけではOSR(オサレ値)が意味するところを精緻に理解することは難しい。そこで、OSRについて記述がなされているアンサイクロペディアの当該項目から一部を引用することで、筆者からの説明に代えたい。
https://ja.uncyclopedia.info/wiki/OSR

OSR理論の誕生
週刊少年ジャンプ2007年17号で、瀕死の死神がパワーアップした敵を返り討ちにするという、従来のバトル漫画理論では説明のつけられないシーンが描かれた。この現象を説明する為に、「The男爵ディーノ」のかがみ氏が提唱したのがOSR値である。
OSR値の登場により「主人公より強い敵が倒される」「本来は強いのに、能力をひた隠しにしたために劣勢になる」といった作中の理不尽な現象に一応の説明をつける事ができたため、多くの人々がOSR理論を支持している。

OSR理論

OSR理論の基本
作中で語られている能力値「霊圧」とは別に「OSR値」という隠しパラメータが存在しており、OSR値が十分な値に達していないと、卍解・帰刃・虚化・攻撃・防御・回避などの行動をとる事ができない。
OSR戦術は「強さをアピールする」「弱さをアピールする」「戦況をリセットする」に大別される。
OSR値が上がる行動
OSR値は、名乗る・敵を見逃す・トドメを刺さない・非常用漢字や外来語の使用・回想・応援・決意表明・説明・ポエムなど、オサレ行為(お洒落でかっこいい行動)により高める事ができる。
一護とその味方は戦闘シーンを長引かせるだけでOSRの補給が可能。
また、織姫は応援する事で、味方にOSRを補給する事ができるとされる。
露出によるOSR値上昇は女性限定で使用可能。またおっぱいが大きい(将来大きくなる見込みがある)と生存率が劇的に上がる。
OSRが下がる行動
弱い者をいたぶったり、優勢であることに驕って無駄に不遜な態度をとったり、最初から全力でいく、瀕死の人間にトドメを刺そうとするとOSR値が著しく下がってしまう。
このような行動を非オサレ行為と呼び、累積すると死亡フラグが立つ。
勝利条件
戦闘ごとに目標OSR値が設定してあり、その値を越えて攻撃したら勝利となる。

以上が、OSRの概要についての記述である。
ここで確認しておく必要があるのは、質的に優れたものかは一旦傍に置き、アンサイクロペディアが風刺を目的とした百科事典風サイトであることからも明らかなように、OSRは『BLEACH』の戦闘描写を揶揄する概念であるということだ。確かに、『カガミ・ドット・ネット』のOSR初出記事で例示された朽木ルキアとアーロニーロ・アルルエリの戦闘は、従来のバトル漫画の力学では説明が難しい展開を辿った。後に十三番隊副隊長、そして隊長へと昇格するとはいえ、当時は一般隊士に過ぎなかった瀕死の死神が、下級大虚とはいえ第9十刃の実力を持つ刀剣解放状態の破面に逆転勝利を収めるというのは、ジャンケンで言えばパーがチョキに勝つような荒唐無稽に映ったというのも理解できない話ではない。
f:id:Halprogram:20220706180049j:image久保帯人BLEACH』30巻168項


OSR理論への批判
しかし、このシーン及び、『BLEACH』のバトル描写にしばしば見られるある種の唐突な展開を読み解くに際して有用な理論が2014年に登場する。

熱心な『BLEACH』の読者の間では有名な、ほあし氏の孔空き理論(仮称)である。当該記事を読めば、筆者の主張するところは概ね伝わるだろう。記事中の一言一句を逃さず引用したいところだが、かいつまんで要点を説明すると、"『BLEACH』は漫画『ピンポン』を下敷きとした作品であり、『ピンポン』の主人公であるスマイルが、敵への憐れみや甘さといった感情を捨て、戦いを楽しむようになることで恐るべき力を発揮するようになった一連の流れを、『BLEACH』では胸に孔が空くことで強大な力を発揮するという様式美や力学として翻案している。"ということである。一見すると突飛な理論にも思われるが、当該記事を読めば納得するかはともかく、妥当な類推であることが理解できるはずだ。
記事に目を通した前提で話を進めるが、この理論に当て嵌めて考えると、先の描写は典型的なものであることがわかる。尚、先のコマでは、志波海燕に扮したアーロニーロ・アルルエリの刃は朽木ルキアの胸部ではなく腹部を貫いているようにも見えなくはないが、朽木ルキアが志波海燕を殺害した際は、斬魄刀が胸を貫いていた為、対比の構造として同じ胸部を貫いているものとして読むことが自然だろう。あるいは、下記に引用する例15.『ルキアの”絶対零度化”』の布石として、袖白雪の神髄に近い技(参の舞は袖白雪の技のナンバリングの中で最も数字が大きいもの)を使用することで、肉体を一時的に殺すことによるパワーアップに近づいたと読むことも無理筋ではないだろう。

15.ルキアの”絶対零度化”
(中略)
『袖白雪』の能力の神髄は、「周囲の物体を凍らせること」では無く、「術者の体温を氷点以下まで低下させること」でした。ルキアはこの力を行使するために「肉体を一時的に殺す術」を身につけました。狛村の”人化の術”と同様ですね。また、「今の私には命が無い」とも明言しています。「命を亡くすことで新たな力を得ている」と言えるでしょう。

OSR理論と孔空き理論の双方が、朽木ルキアとアーロニーロ・アルルエリの戦闘の経過と顛末に一応の説明をつけており、『BLEACH』のバトル描写にしばしば見られるある種の唐突な展開の数々に適用することが可能であることは最早論を待たない。しかし、どちらが作品のメッセージ性やテーマに寄り添った理論であるかは、火を見るよりも明らかだろう。


OSRからオサレへ 用法の変遷
次に、"オサレ"という語の用法の変遷を確認したい。序論で述べたように、今日では、"オサレ"はOSR理論の意味で用いられることは少なく、BLEACHや久保氏を讃える語として用いられることが殆どである。では、そのように転じたのはいつからか。これを明らかにしたい。
今回は、Twitterの検索機能である期間指定を用いて、"オサレ"を含むツイートを抽出し、『BLEACH』に関して言及したものを精査し、それがどのような用法で用いられたかを比較する。期間指定には、『BLEACH』の中でも反響が大きかったものと思われる回が掲載された週刊少年ジャンプの販売日を用いる。読者各位にも再現可能な方法ではあるが、検索時期によって表示されるツイートが変わり得ることに留意されたい。また、本来であれば質的分析にはM-GTAKJ法のような手法を、量的分析を行うのであれば統計法に基づいた各種を用いるべきところを、どんぶり勘定の簡便な比較となる点に関してはご容赦いただきたい。

2010年9月18日 週刊少年ジャンプ2010年42号発売

f:id:Halprogram:20220706175748j:image久保帯人BLEACH』48巻138-139項

BLEACH』へ言及したツイート数:6件

侮蔑的用法:3件

用法不明:3件

『DEICIDE22』掲載号、「俺自身が月牙になる事だ」の回である。侮蔑的用法では、「超展開」「オサレ過ぎて腹いてぇ」等の記述が見られる。検索をかけてから気づいたことだが、この頃はインターネットにおいて漫画の感想を語る場としては2ちゃんねるが主に用いられており、Twitterのuntil検索だけでは当時の侮蔑的用法を精緻に読み取ることは難しいかもしれない。

2011年8月22日 週刊少年ジャンプ2011年37号発売

f:id:Halprogram:20220706175640j:image久保帯人BLEACH』53巻24項

BLEACH』へ言及したツイート数:8件

侮蔑的用法:4件

用法不明:4件

『Deathberry Returns 2』掲載号、「剣圧だ」の回。まだまだツイート数は少ないものの、特徴的な言及を行ったツイートが散見された為、以下に引用するが、個人を晒し上げたい訳ではないので、出典元の明記は控える。

「巻頭カラーの回に死神ぞろぞろ出してくるとかオサレ師匠オサレすぎてビクンビクンするわー」「ブリーチが今週巻頭カラー・・だと・・・? 今回もまたいいオサレ台詞があってワロタww」「オサレ先生、連載10周年おめでとうございます!!ジャンプの看板ギャグ漫画と呼べる「BLEACH」をこれからも楽しみにしています!!(21歳・男性・コンビニ店員)」

2015年12月21日 週刊少年ジャンプ2016年3・4号発売

f:id:Halprogram:20220706175259j:image久保帯人BLEACH』72巻65項

BLEACH』へ言及したツイート数:15件

侮蔑的用法:6件

肯定的用法:5件

用法不明:4件

『GOD OF THUNDER』掲載号、アスキン・ナックルヴァールの毒入りプールを前に黒崎一護が敗北を喫する回。ここにきて、母数こそ少ないものの、肯定的用法の件数が侮蔑的用法のそれを上回る。肯定的用法には、下記のようなものがあった。

「これは結構オサレな方な気がするけどな…師匠の画力に惑わされているだけかもしれない。」「久しぶりにブリーチ読むと面白い やっぱオサレ師匠やなぁ」

2016年8月22日 週刊少年ジャンプ2016年38号発売

f:id:Halprogram:20220706175124j:image久保帯人BLEACH』74巻210-211項

BLEACH』へ言及したツイート数:51件

侮蔑的用法:21件

肯定的用法:21件

用法不明:9件

『Death & Strawberry』掲載号、最終回。15年にわたる連載が終了し、「やっと終わったか」と嘲笑するような用法と、作者を労うような用法の混在が見られる。

侮蔑的用法には、下記のようなものがあった。

「KBTIT氏は連載漫画終わったけどやっぱりオサレなビデオに出るんですかね」「BLEACH遂に最終回。正直最後の方は読む気もおきなかったけど、毎週ジャンプ読むきっかけになった作品やから感慨深いものがあるなー。最終話のタイトルを第一話のそれとかぶせてくるとこらへんがオサレ師匠と呼ばれる所以。Death & Strawberryって結局何なんや。」「BLEACHオサレすぎ 結局どういう話なのかさっぱりわからん」「ブリーチ最終回オサレの極み過ぎて笑うわ」

肯定的な用法には、下記のようなものがあった。

「ブリーチ、確かにオサレ師匠と言いたくなる終わり方だった。俺こういうの好きよ。」「なんだかんだで、オサレ師匠はやっぱ引きが上手いなーと思った。」「鰤の最終話のタイトルが1話と同じで痺れた。さすが師匠、オサレだぜ!」「KBTITのオサレさにはほんと脱帽だわ 漢字系のネーミングセンスもカタカナ系のネーミングセンスもやばい」

興味深い点として、従来は久保氏の蔑称として用いられてきた"師匠(作中で石田雨竜が祖父であり滅却師としての師匠にあたる石田宗弦をそのように呼んでいたことから)"や"KBTIT(久保氏と容姿が似ているとされるアダルト俳優のニックネーム)"が、肯定的に用いられるようになったことである。この点については、後にその意味を検討したい。

2018年7月14日 週刊少年ジャンプ2018年33号発売

f:id:Halprogram:20220706192123j:image久保帯人『BURN THE WITCH』1巻表紙

BLEACH』及び『BURN THE WITCH』へ言及したツイート数:47件

侮蔑的用法:3件

肯定的用法:42件

用法不明:2件

『BURN THE WITCH』読切掲載号。この頃には侮蔑的用法の"オサレ"は殆ど見受けられず、現在の状況と殆ど一致している。肯定的な用法には、下記のようなものがあった。

「BURN THE WITCH面白かった。やっぱ師匠の漫画はくっそオサレですわ」「#wj33 #バーンザウィッチ リバース・ロンドン、WB、ウィッチ、女子コンビ、ドラゴン、バイパーズ、のえるの出自。全ての設定や用語がオサレに統一されており、大事な機能を有している。久保先生がめっちゃ練ったことが推測される。」「久保先生の読み切りのバーンザウィッチ最後の2ページオサレ過ぎてやばい…流石です…😇😇😇」「オサレ師匠の漫画は薄めたカルピスと揶揄されるだけあって濃ければ面白いと再認識した」

上記より、少なくとも千年血戦篇の連載中(2012-2016年頃)には"オサレ"の肯定的な用法が見られるようになり、本編終了時点(2016年)ではその数は拮抗していたものの、『BURN THE WITCH』発表の時点(2018年)では侮蔑的用法は廃れ、肯定的用法が専らな2022年現在に近い状況にあることが推察できる。

 

オサレの用法は何故変わったのか

BLEACH』は、異能剣戟バトルアクション漫画としての面を持ちながらも、そのポエトリックでエモーショナルな描写に重きを置いた作風から、従来のバトルアクション漫画の読み方の御作法のようなものに則り読み解いた際に違和感が生じる場合がある(勿論、そのような読み方であっても本作を楽しむことは可能であり、作品人気の高かった尸魂界篇はその証左である。)。一方で、現在巡回中のBLEACH原画展『BLEACH EX.』で展示されていた久保氏のコメントには、「BLEACHは後半に向かうにつれて、BLEACHの表現についてこれる読者を篩にかけるような描写を増やした(意訳)」というものがあった(気になる人はBLEACH原画展図録『BLEACH EX. THE BLACK BROCHURE』を買いましょう。)。これらを整理した際に、筆者には一つの仮説が見えてきた。

BLEACH』は2001年の連載開始時より、当時の少年少女らから高い支持を得てきた。しかし、従来のバトル漫画とは異なる描写や力学に、青年や成人の読者からの反発があった。その声は、少年ジャンプ本誌のアンケートには反映されず、2ちゃんねるをはじめとしたインターネット上で反響し、醸成された。その中で生まれたのが、OSR(オサレ値)である。これが先述のインターネット層に広く支持され、その過程で侮蔑的用法の"オサレ"に転じた。一方で、連載の長期化に伴い久保氏独自の描写は先鋭化し、それを受容できない読者は次第に作品を追うことを諦め、熱心な読者だけが作品を読み続けるようになる。時を同じくして、インターネットマジョリティの年齢層も入れ替わっていく。かつて『BLEACH』を支持していた少年少女達である。そして彼らはインターネット上で、『BLEACH』が"オサレ"と評されていることを知る。しかし、ヘイターが去り言葉だけが一人歩きした状況下において、それは彼らにとって、『BLEACH』に対して感じていたスタイリッシュさを見事に言い表した新鮮な言葉に映ったのだろう。久保氏の"師匠"や"KBTIT"といった蔑称も、従来の意味を失い、作風のスタイリッシュさに合ったニックネームとしてリフレーミングされた面もあったのではないか。こうした作用が重なり合ったことによって、"オサレ"の肯定的用法が広く支持されるようになったとは考えられないだろうか。

 

おわりに

本稿で述べたことは、一『BLEACH』読者による推論の域を出ない。その為、『BLEACH』読者の諸兄姉からの意見や感想等を募りたい。

ごく私的な考えとして、"オサレ"はその出自が罵倒語に等しく、『BLEACH』や久保帯人氏を肯定的に評する際に用いるには不誠実であると思う。しかし、最早そういったことを声高に叫んだとしても、この大いなる流れを止めることは叶わないだろう。現代におけるクィアの扱いに近いものがあるのかもしれない。しかし、そうであったとしても、そうであるからこそ、『BLEACH』や久保氏を"オサレ"と評するのであれば、その語が持つ背景を知った上で、慎重に運用することが好ましいだろう。