明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

220728

夢に昔の友達が出てくる。この人達に許されたいんだ、と思う。目が覚めると、昨日歩き回ったせいか身体中が痛む。仕事もないのだから、休めばいい。体を楽にするだけで1日が過ぎていった。

人間関係が難しい。そもそも、今の自分は他者と関係することができているのだろうか。もっと言えば、これまで他者との関係だと思っていたものは本当に他者との関係だったのか。

昨日の夜、友達と解散した後に苦しくなって書いたツイートを読み返した。これによって、他者との関係のイメージがコミュニティありきになっていることに気づく。集団の中で誰に媚び、ニコニコしたり心を開いているかのように振る舞ったりすることでうまく立ち回れるかを無意識的に考え、そういった営為の積み重ねによって生じた、自身と他者の間にあるかもしれない目に見えないものを友好的な関係と勘違いしていただけではないのか。いや、集団内の力動が個人間の親密さに変わることだってあるはずだ。少なくとも昨日の友達とは楽しく過ごせたじゃないか。エリクソンは成人期の課題と危機を親密性と孤立としていたが、正にそれで苦しんでいる。好ましく思う他者と親密になりたい。あとやっぱり京都に誰もいないのは寂しい。

本当に人を好きになったことがあるのか、最近そういうことをよく考える。仲良くなってみたいとか、特別に大事に思っているとか、性的魅力を感じるとかを恋慕の情に落とし込もうとして、人を傷つけたり自身が傷ついたりしたことが何度もあった。チェンソーマンのデンジとレゼの一連のやり取りに、そういった思いが賦活されているように思う。なんかこう、脳がメロメロのトロトロになるような体験をしてこなかったことが、今の自分を縛っている面があるように思う。妙な安定指向がチヤホヤしてくれる異性を複数人持つ方向に働き、それが他者に踏み込まず、踏み込ませずという在り方に導いたのではないか。わからんがな。本能のままに動きたくなってドロドロに溶けちゃうような大恋愛、してみたいな。それを経ないことには、安定を目的とした長期的なパートナーを獲得することができたとしても、靄がかかったような日々を過ごすことになりそうな気がする。ええ歳したらそんなんも思わんか。

ちょっぴりナーバスが過ぎたので、嬉しかったことを書いて締めちゃおう。友達から写真のバイトに誘ってもらえた。プロの補欠みたいな感じで、本職が呼べない日があったら来てほしいかも!とのことだったので、おじゃんになる可能性こそあるものの、下手の横好きでやっていることが評価してもらえるのは嬉しい。そういえば、誘ってくれた友達はめちゃくちゃ近所に住んでるんだった。灯台下暗しやね。

おわり