明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

思い出の千切り

・小学校の先生で、離任式の際に児童みんなと握手して、「この手は一生洗いません!」とスピーチで宣言していた人、サカイ先生だったか。あの人が次の年度の区民運動会で学校に来ていて、「あんなん言うてたけど、流石に手洗ったでしょ?」と尋ねたら、「洗(あろ)てへんでえ」とおばけのような手をしながら接近してきた。

nobodyknows+の『ココロオドル』は、リリース当時は聴いたことがなかったものの、中学の同級生の小柄でキリッとしたかっこいい顔の男の子がカラオケでよく歌っていたので好きになった。

・就職活動の為に夜行バスで度々東京へ行っていた頃、降ろされるバスターミナル付近のファミリーマートファミチキを買って食べるようにしていた。遠出によって駆られる不安を、京都と同じ味がするファミチキで紛らわせたかったから。

・小学生の頃、衆議院議員の泉ケンタとタレントの島田紳助を同一人物だと思い込んでいた。顔が似ていたから。二足の草鞋を履いて、立派な人だなあと思っていた。

・『女の子よ死体と踊れ』の舞台挨拶でゆるめるモ!が立誠シネマに来たとき、小さな壇上で6人のメンバーが代わる代わる回すのを想定して用意された2本のマイクの内の1本をあのがずっと握りしめていた。物販の際に「ありがと」と言われ、あのってお礼とか言うんだなあ……と感心する。帰りに遠方から来たファンの人に声をかけられ、抽選で当たったサイン入りポスターを譲ってもらった。名前を尋ねておけばよかった。

・友達の家でお酒を飲むと言った翌日、「セックスしてきた?」と母親から帰るなり尋ねられてギョッとする。バレるものなんだなあと内心で驚きながら誤魔化した。

・シドギャだったのでマオに憧れて前髪をぱっつんにしていた時期があり、今にして思えばかなり厳しいものがある一方、もっと振り切ってそういう方向の美しさを追求すれば良かったなあとも思う。気合の入ったバンギャスタイルにはなるまいとする自意識があった。

・小さい頃、おばあちゃんは良かれと思いトマトの皮を剥いて食卓に出してくれたのに、わたしは皮付きのトマトを食べたかったので泣いてしまった。それからというものの、おばあちゃんはトマトを毎回皮付きで出してくれるようになり、自分で食べる分はめんどくさそうに毎回皮を剥いている。「あんたは皮剥いたら泣くからな」と今でも時々言われる。

・"この前(本名)が咳してて、(本名)に大丈夫?って言ったら死なへん死なへん〜って返されたから、(本名)が死んだら悲しいなぁ…って言ったら、やろ?だからxxxxxもちゃんと生きてなぁって言われたの、めっちゃ嬉しかったな"という2015年10月18日22時34分のツイートのスクリーンショットを後生大事にしている。

・ディズニーランドに行ったことがなくて、ディズニーランドに対するイメージが『Escape from Tomorrow』のそれになっている。

・昔ちょっと好きかも?と思っていた人が、LINEのチャットでよく虹を吐く人の絵文字を使っていた。虹と吐瀉物を見るとその人のことを思い出す。

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おわり