明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

安寧の孤独の中で願った静かな終わり

いや〜苦しっスね。なんや敵わんないう感じがしとりますわ。

この前、「もしかしたらこの人と付き合うのかな?」とかつて思った人と何年かぶりに喋った。何年かの間にその人は何人かと付き合って、わたしは誰とも付き合わずにセックスばかりしていた。

なんで人と付き合えないんだろう。セックスの相手として求められることはあっても、交際相手として求められることが殆どない。数少ないそういった機会においても、この人で大丈夫なのかな?と思案している間に愛想を尽かされ、喪失感だけが残る。この人と付き合ってみたいかも!と偶に思ったり思い込もうとしたりした相手からは距離を取られる。それでもセックスの相手にはしてもらえたりすることがある。なんやねん、ほんまに。

うまく言えないが、交際相手としての魅力に欠けているのだと思う。何が交際相手としての魅力なのかはわからないが……

"あの男と付き合ってみてもよかったはずだ。俺とだけやろうという肉体の約束が、じきに精神的な何かに変わっていく可能性だってあった。" という一節が千葉雅也の『デッドライン』にあり、初めて読んだ際に、これが自分にとって理想的な交際への漕ぎつけ方ではないか!?と思った。お喋りして、遊んで、お互いちょっといいかもと思ったらセックスして、それもよかったらあなただけのわたしにしていただけませんか?ダメ?

もう少しで27歳が終わる。友達が徐々に30代へ片足を突っ込み始めた。70歳で死ぬとしても、残り40年を1人で生きるのは到底無理だ。自分の面白さなどたかが知れている。わたしの弱さを少し預けるから、あなたの弱さを少し預からせてほしい。それで、少し肩が触れるくらいの距離で同じ方向を向いて歩いていこうよ。ね?虚空に向けて告白しちゃったな。

28歳の目標は阿婆擦れエッチをしないこと。でも先に引いたデッドライン的なものを再現するなら阿婆擦れエッチの先に交際があるのか?よくわかんない。いいなと思った人には、「あなたがいいと思いました」とちゃんと伝えたいな思うとる次第です。