明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

Twitterからログアウトし続けるのトイレに行くのをずっと我慢してるみたいだ

雑に半生を振り返ってみたが、人から好かれたり嫌われたりしているな

Twitterから少し離れて、あの人がどうしているか気になるとか、好きな感性の人のテキストが読めなくて辛いとか、思考や感情の排泄ができなくて苦しいとか、そういうのを差し引いてもやってよかったと思う。もう何日かしたら一度Twitterに戻ると思うけれど、また嫌になるかもしれない。

目に見えている対象と実際にここにある対象は同一の存在であるかを考えることって哲学ですか?

わたしはあのちゃんことあののゆるいファンで、彼女のことはゆるめるモ!の6人時代から何となく応援しているのだが、昨年彼女がブレイクしてからというものの、無神経なファン風のアカウントからのリプライがめちゃくちゃ目につくようになり、かなりしんどい。かねてからそのような人達はそれなりの数がいたが、それはもうものすごい勢いで増えていてとても気持ち悪い。

深く(どの程度?)考えない権利って認めていいんですか

あのは俗に言う"病みツイ"的な投稿をよくする。そこまで露骨でなくとも、気落ちしているのだろうと読み取ることが容易な投稿は少なくない。それに対して、「わかる」「自分を大事にして」「気にしないで」というような旨のリプライを、あののツイートから1分以内に飛ばすファン風のアカウントがうじゃうじゃいる。信じ難いことだ。

夜空の輝きは、街行く人や景色が同じようで明日には違っていても、変わらずにいてくれるものなのか お前は昨日のお前と同じ人間なのか

あのの詩性や表現に自身を理解されたような気になったのであれば、あのの苦悩に対して安易に「わかる」とは言えないはずだ。その理解は双方向のものではなく、あのからお前への一方通行なのだ。わからないのだから。わからないのなら、「自分を大事にして」だとか「気にしないで」等とは言えないはずだ。それができれば苦労はないというのは自明で、あるいはそうした結果が苦悩を言葉にしたツイートであると考えられるからだ。

同性婚って当事者からすれば相当センシティブな問題だろうに何でシスヘテロが「LGBTを理解しましょう!」みたいなノリでズケズケと話を進めているんだ 環境破壊みたいなもんやろ

落ち込んでいる人に言葉をかけることはとても難しい。やればいいというものではない。何と言えばいいかわからないが、心配しているというような場面では、何を言うかよりも何を言わないかが肝要であるように思う。遺族にかける言葉が定型文になるのはその為だ。かける言葉が無いのだから。

規範はその妥当性の検討を重ねる中で守られたり破られたりしてより妥当なものになる

なんというか、そういう嫌なものがあののブレイクとTwitterの仕様変更でとにかく目につくようになった。それ以外にも、さもしく愚かな言説が跋扈している様を目にするのが本当にしんどい。おすすめタブを非表示にできないだろうか。ツイートを時系列順に表示して広告を挟まないTLを使わせてくれるなら月1000円くらいは全然出すよ。これ、うちが始めた頃のTwitterは無料でやってくれていたことなんだがな。かなわんね。

16SSの壊れ花を着たあのがめちゃくちゃクール USED探そうかな

おわり