明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

230303

今日、というか昨日か、カトウミケルの写真の一部を公開した。

ほぼ指示なしでなんとなく動きをつけてくれる ありがたいわね

結構いい感じに撮れているんじゃないかと思う。去年の4月頃に撮ったそれよりも、幾分か手応えがある。なんというか、彼女の魅力により気づけたというような感じ。こういうことがあるから楽しい。

写真を公開することへの抵抗感のようなものが随分薄くなった。"公開したくない"から、"どうでもいいけど、写真に関して信頼を置いている人から公開した方がよいと言われたし、実際いいこともあったから、許可が得られるならやるか"くらいの感じになった。でも、どこかで、ちょっとグロいことやってんじゃないの?というような気もしている。撮影は肖像を掠め盗る暴力としての一面も有しているから。これはずっと付きまとうだろうな。仕方がない。

増田せんせに撮った写真を送る。撮影から丁度1ヶ月経つのか。今回はかなり出来上がったイメージの指定があったので本当に仕事という感じがあったが、機会があればより遊びのある写真も撮れたらいいなあと編集していて思った。知的温厚誠実茶目っ気等々のお人柄とでもいうべきものが幾重にも積み重なり、身体を通して表現されていたような、そんな感じがあった。若い人では、というか凡百の人間が徒に月日を送るだけでは、こうはならんのやろなと思わさる。

beautiful peopleのコラボアイテムを買いにGUへ、目当てのトートとサイドラインセットアップのネイビーを買う。しかし、今時のレジは凄いな。所定の場所に買い物かごを置くだけで合計金額を算出してくれる。ほんまに人間が要らなくなっていた。心なしか、店員の数も少なくなっているような気がする。こうして技術革新が起きて生活が楽になると食いっぱぐれる人がでてくる。生活を楽にする為の技術であるはずなのに、かえってそれがわたしのような凡人にとって恐ろしいものに感じられるのは、なんや皮肉やね。試着もせずにECサイトで見た寸法を頼りに服を買ったが、サイドラインフーディのフロントジップがシングルで少しがっかりする。10年代初頭に流行ったダブルジップの上下を少し緩める着こなしをイケてると思っていたので、今となっては絶対にやらないのだけれど、無いと寂しい。

激ヤバ新入社員に「顔は好みだがそれ以外に好きなところはない」「何を考えているのかわからない」と言われ、めちゃくちゃにコンプレックスを刺激される。「結局あなたもあたしの容姿や身体にしか興味が無いのね!!!」と過呼吸ヒスの物真似で場を流したが、それなりに傷つく。しかし一方で、この人に自分をわかって貰おうというつもりもあまりないので、仕方ないかとも思う。帰り際に3年目と喋って「あんたはわたしとはかなり正反対の人間やけど、一欠片くらいは分かり合えるような部分があると思っていて、そういうところのバランスが面白いと思うし、あんたみたいな人に面白がってもらえたらそれが一番嬉しくて、わかる人だけわかってくれたらいいの。激ヤバにとってのわたしは顔がいいだけの人間、あいつに限らずその程度の理解の人はそれでいいよ」みたいなことをべらべら言うてたら「不器用な人ですね」と笑われた。器用とは思わんけど、これは不器用なんか?

約束を守らないといけないという規範意識が、他者からの自身にとって好ましい評価を過度に内在化させ、時間経過に伴って移り変わった評価との乖離を生んでいるんだろうなと思っています。

一対一の場面においても場に働きかけるようなアプローチを採ることで、「何を考えているのかわからない」「さびしい」と思わせることがあるっぽい。個人と場の両方が大事だけれど、どちらかといえば個人に重きを置きたいものだわね。

高校生の頃に聴いていた音楽のことをふと思い出して、そのことを書こうと昼間に思った。これを書いている今、その音楽が何だったのか思い出せない。

f:id:Halprogram:20230303234554j:image5年前の今日 これを保存していたらしい 徳井はかっこええなあ

おわり