『言葉を失ったあとで』と『寝ながら学べる構造主義』を並行して読む。『言葉を〜』に出てくる加害者支援の話が構造主義の考え方そのもののように思えて、相補的な読書体験になっているのが面白い。
「テロの背景を理解する」と「テロに同意する」を区別できない人々がいる。日本語で「理解する」という概念が「同意」の意味で誤用されることが多いためだ。オレ一回生には毎年「理解と同意を別物として区別しろ」「両者を曖昧に混ぜた「納得」という語は学術的議論で使うべきではない」と指導している
— 増田聡 (@smasuda) April 17, 2023
理解と同意が別物というのは全くその通りなのだけれど、理解の先に同意があるというのをスペクトラム的に捉えている人がそれなりにいることを認めた上で話をせなあかんな〜と思うことがある 理解と同意の間には本来分厚く高い壁があるはずなのだが、日々の選択の中で我々は何となくそれを無視している
— 明るい生活 (@soyjoyoic) April 17, 2023
増田せんせのツイートを受けてこのツイートをしたのだが、『言葉を〜』と『寝ながら〜』の影響を受けた出力のされ方になっているな〜と思いました
「4年目は日々の何でもなくて大切な瞬間の出来事について意識的に頭を働かせることなく喋ることができてすごい!」みたいなことを会話の流れで言ったら「xxさんは人に求めるものが高すぎる」「発言の情報量が多いから短くしたらどうか」と言われた。やってみます。考えずに喋るって難しいな、まず定義がよくわからない。人は意識的に考えているつもりがなくても無意識に促されて、つまりは考えていると自認しないままに考えているからだ。多分、4年目がよく言う考えずに喋るというのはもっと純粋なものなのだろうが。お察しの通り、考えずに喋るが最近のテーマです。
おわり