明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

230416

昨日撮ったデカ愛ちゃんの写真をデカ愛ちゃんのアンチが目にしたようで、本人宛の質問箱で匿名による中傷が行われていた。あ〜あ、こんなことになるなら写真を公開しなければよかった。デカ愛ちゃんは勿論悪くないし、わたしも悪くないが、わたしが写真を公開したことで中傷を招いたのは事実だ。彼女とわたしの間で共有するだけに留めておけばよかった、浅慮だった。写真を撮ることが嫌になったので、しばらく撮影はしないようにしようと思う。しばらくと言っても、精々1ヶ月くらいだろうが。本当に嫌な気持ちにさせられたし、人を傷つける構造の大きな要因になってしまい、本当に申し訳なく思う。

落ち込みを察知した友達が電話をかけてくれた。頭を使わずに喋る練習をしよう!となり最初に口走ったのが「まんこ1日100万個」で、チンポプラのコピペの父親のような気分になった。自分で言っておいて。

姪っ子がchu!の曲を歌うことがあるらしく、同じちゅならあののやつ歌わせい!と鬱陶しいことを言うた。助かった、ありがとう。起きたら別の友達もメッセージをくれていた。気を遣わせてしまった。

おばあちゃんが片付けしてたら出てきたわたしの幼少期の写真アルバムを見せてくれた。従妹らと近江八幡の屋形舟?に乗った写真や祖父に肩車されている写真等があり、おばあちゃんは愛おしそうな表示でそれを眺めていた。こんな大人になってもうて堪忍ね。

言語化いう語の気持ち悪さってあるよな〜と思ってたんですけど、内田樹が『寝ながら学べる構造主義』で"言語活動とは「すでに文節されたもの」に名を与えるのではなく、満天の星を星座に分かつように、非定形的で星雲状の世界に切り分ける作業そのものなのです。ある観念があらかじめ存在し、それに名前がつくのではなく、名前がつくことで、ある観念が私たちの思考の中に存在するようになるのです。"と言っていて、これじゃん!となった。賢い人が自分の悩みを解決してくれていると本当に助かる。ありがたい。あたしって一体何なんでしょうね。

こういうことを思ってたの

『維新と加速主義』というブログの投稿も面白かった。"加速主義的傾向が支配的な社会では「スピード感」がすべてを押し流し、浮き足立った気分を煽る人たちが世間の耳目を集める。そうして焦燥に駆られて採用された政策がいかなる結果をもたらしたかの事後的検証には人々はもう興味を示さない。"という部分が、維新どうこうと関係なく世の中の大きな流れとして確かにあって気色悪いよなあと思わされた。

トライフォースって同志社の校章と似てるな〜と今日気づきました。

おわり