明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

Twitterが終わった日

Twitterアプリが夜間の自動アップデートでアイコンがXになった。URL等はTwitterのままなので、完全に終わったとするには時期尚早ではあるものの、視覚に強く訴えかけるこの仕様変更は我々にTwitterの終焉を告げているようだ。

わたしが嘘のBLEACHと呼んでいる、アニメ『BLEACH』第1期の原作にない独自描写として、自身に護る力を与えてくれたルキアを救わんとする一護の「色んなことがあったな それを今更なかったことになんかさせねえ」というセリフがあった。

TwitterはXになる。PayPalの例があるので、いずれTwitterに戻る可能性も無いとは言えないが、遠くない未来にTwitterは一度Xになるだろう。だがそれは、TwitterTwitterであったこれまでの時間を否定するものではない。

「なかったことになんかさせねえ」とまで言うと大層にはなるが、Twitterが確かにあったということを忘れない為の、ごく私的な思い出を以下に綴ろうと思う。

 

・BUMPのことバカにすんなよ

わたしがTwitterを始めたのは2013年、高校卒業を目前に控え浮き足だった春の日のことだった。中高生時分にニュー速に入り浸っていたわたしは、Twitterでそういうノリをやってしまうと痛い目に遭うだろうと推察したまではよかったものの、ロールモデルを見誤ったのか「最高にロック」だとか「〜がハイライト」のような、当時流行していた本当にしょうもないノリをやる場がTwitterであると誤認していた。しかしながら、三つ子の魂百までと言うように、ミドルティーンと20代終盤の自分が連綿とした存在であると思わされる投稿を当時から時折行っていた。

"大学で知り合った人達、全員自己紹介でバンプが好きって言ってる 恐怖すら感じる"

細かいところは違うかもしれないが、大意としてそういうことをツイートした。すると、BUMP OF CHICKENの熱心なファンの同級生から「は?BUMPのことバカにすんなよ」というお怒りのリプライを頂戴した上でブロックされたのだった。誰が読んでも明らかなようにBUMP OF CHICKENの批判ではないのだが、バンプと恐怖の二語が並んだというだけで、バンプが批判されている!キーッッッ!となられたようだ。文が読めない人って、自分と同程度の学力があるとされている人の中にもいるんだな〜その上でブロックされるんだ〜と驚いたことを覚えている。クソリプの原体験がまさか友達によるものとはな。

・友達とラーメン屋

同志社大学新町校地の近くにラーメンさのやという背脂醤油ラーメンのお店があった。個人経営の小さなお店で、店主のおっちゃんが時折Twitterで割引サービスをやってくれてたことを覚えているが、そんなことがあろうがなかろうがここの背脂醤油ラーメンはTHE京都のラーメンというような味わいがあり、学生時分は勿論のこと卒業後も通い続けていた。

大学を出た翌年に閉店が決まり、最終営業日に食べ納めに行った際にその様子を収めた写真をTwitterにあげたところ、同じくさのやファンの友達から食べ納めに来ているという旨の連絡があり、大学付近の喫茶店でお喋りをした。わたしは院進を、彼女は就職を控えていて、近況報告から何となく大学生活の総括のような話をした覚えがある。

今時のティーンエイジャーは位置情報共有アプリを使って近場にいる友達と遊ぶらしいが、四六時中監視されているような息苦しさは覚えないのだろうか。なんというか、Twitterで偶々近くにいると知って、折角だからお茶でもしようか位の感じが丁度よかったのを覚えている。Twitterにおける初めてのそういった機会がこの時だった。

店主によるTwitterの投稿は閉店後も続いていたが、先日アカウントを削除されてしまった。京都の人らしくバリバリの左翼で、わたしが読みたかったがタイトルを失念していた維新批判の本を教えてもらったことが印象深い。な〜んかな、またどこかで会えるんちゃうかいうような気がな、なんかしてまうな。友達もおっちゃんも。そうだといいな。

・わけのわからん大人でも生きていけるってところを見せてやってくださいよ

院進を控えた秋、当時フォローしていた京大生による"今秋開講される質的調査に関する講義がモグリ自由らしい"というツイートを目にする。学部では量的研究しか教わっておらず、それこそ質的研究をメインとしている別大学に進学することに対する不安があった為、まあようわからんけど暇やし行ってみるか〜と思い潜ったのがこれである。

岸政彦さんである。いやあ、昨今のうちの岸政彦ファンっぷりをご存知の方からしたらそんなイントロやったんや?本読んだとかとちゃうの?と言われてしまいそうだが(開講中に本は買った)、実態はこんなものだ。講義内容は生活史(life history)の聞き取り調査の意義や、その背景にある哲学史、語りの解釈に求められる誠実さ、岸先生が行われている沖縄の調査での実例等であったと記憶している。それは自身にとって目から鱗のような体験で、繰った面白ネタなんかよりも、人間の素朴な営為がこんなにも面白いのかと思わされたのだった。

しかし、それは言ってしまえば講義内容としては当たり前のものであって、勿論これまでの狭窄な自身の視野を広げる助けになったのは言うまでもないのだが、より衝撃的だったのは岸先生自身が非常に面白い方だったということだ。講義中の雑談が一々妙に面白い。

「こないだ衣笠でさあ、中学生の集団が"人って殺しても案外バレへんらしいで?"って言っててな、もうその時点でアホやねんけどさ、"じゃあネコも殺したらバレへんか"って言うてる奴がおってな、でも他の奴が"ネコは殺したらあかん"って怒ってましてね。焼肉でも奢ったろかな思ったんですけど」みたいなエピソードトークが7年近く経った今でも忘れられない。

なんだかんだで今では相互フォローしてもらっていて、先日スペースでお話しした際に当時尋ねた質問を覚えてもらっていたり(尤もこれはTwitterはてなブログにその仔細を綴ったからだが)、京都にいる間に京大においでと言ってもらえたり、2017年にモグリをやった時点では想像もつかなかったようなことが起こっている。いやはや、ほんまに嬉しいことやわね。

そして、Twitterで出会った先生として語らないわけにいかないのが増田聡さんである。うちが個人的に三大Twitterにおける信頼できる大学教員(もう1人は千葉雅也)だと思っている増田先生からDMを受け取ったのが今年の年始。著者近影を長らく更新していない為、それ用の写真を撮ってほしいという依頼を頂戴したのであった。当然、二つ返事で了承した。

増田先生が専門とされている分野については完全に門外漢なのだが、なんと言うべきだろうか、人生の先生というような感じがする。勿論岸先生に対してもそのように思っているが、専門のことが本当にサッパリな分、増田先生にはそのような印象をより強く抱くに至っている。この人の背中を見て、誠実に生きていこうと思わされるのだ。

表題の「わけのわからん大人でも生きていけるってところを見せてやってくださいよ」は、増田先生主催の花見にて、学部生院生ゼミOBらで賑わう場に呼んでいただいた理由をお尋ねした際の御返答である。こうもはっきり言われると気持ちよかった。Twitterで見かける何で飯食うてるかわからん大人にうちもなったんやな〜と感慨深く、また敬愛する先生にそのような場に呼んでよい大人だと思ってもらえたことが心底嬉しかった。増田先生と直接お会いしたことは2回しかないが、お声がかかればいつでも!の気持ちがある。また飲みましょ言うてもらえて、ほんまにありがたいね。

増田先生との出会いは、岸先生が時折わたしのツイートをRTしてくださっていたことで存在を認識してもらえたことを端としている。増田先生には「表現が際どいのに奇矯ではなくまっとうなことを言うてる」と評してもらえた。半裸に近いツイートで織り成した一側面としてのTwitterアカウントで、一方的に信頼していた人から一人の人間として扱ってもらえたことが、本当に嬉しかった。わけのわからん大人でも生きていけるのかもわからんなと、そう信じてみようと思えた。

・握手

新卒就職に失敗して以降、所謂リア垢として運用していたTwitterアカウントは徐々に現在の半匿名アカウントとしての運用に軸足が移るのだが、それよりも前から唯一人だけ相互フォローになっていたインターネットの人のアカウントがあった。彼女は自分と同い年なのだが、サブカルチャーへの造詣が深くファッショナブルかつユーモラスで愛らしいルックスの持ち主で、京都と大阪を転々とする生活を送っていたことも相まって、近くのようで遠い人というような感覚があった。言葉を交わすことはあまり多くなかったが、魚喃キリコにハマりそうだと表明したツイートに対して「『ハルチン』が元気が出るのでオススメです!」とリプライをくれたことが印象に残っている。次の日にはヴィレッジヴァンガードで取り寄せをした。本人にバレると恥ずかしい話だが、中島らもゆるめるモ!にハマったのは彼女の影響だ。

相互になって6年後の春に、初めてTwitterでのオフ会をして彼女と顔を合わせた。梅田の駅ビルのどれかの喫茶店だったと記憶している。目の前に現れた彼女は、ツイートから感じられた魅力を何倍にもしたかのような素敵な人だった。楽しい時間を過ごした後に、別れ際に握手をした。その瞬間の、画面の向こうの存在だと思っていた人に血が流れていて、肉体があり、温度が存在することに対する感動が洪水のように溢れ出した。うまく言えないが、Twitterをやっていて、生きていてよかったと思えたのだ。たかがTwitterごときで大層なことをと思わないでもないが、そう思ってしまったのだ。大袈裟ではなく、彼女はわたしにとってTwitterを象徴するような存在だった。彼女のことを忘れない限り、わたしはTwitterのことも忘れないだろう。これからも仲良くあれたらいいな。

 

書きたいことがまだまだある。まだまだあるが、とても疲れたのでこんなもんにする。Twitterに傾倒したことで「xxさんはすっかり明るい生活さんになりましたね」と大学の友達から嫌われたり、bioの"40代人妻"を真に受けて「歳上女性好きの彼を寝取ってくれませんか?」とスパムではないエロアカウントからDMが来たり、ツイートやはてなブログを読んでくれている相互から依頼を貰って同人誌に寄稿したり、面白いインディーズ漫画を見つけてその作者とお喋りさせてもらったり、友達の裏アカウントを見つけて知人に対する悪口の山を目にしてしまったり、出演した自主映画のクラウドファンディングの宣伝をしたもののあまりうまくいかなかったり、好きなライターのエッセイの感想を書いたツイートの一部を書籍化の際に帯に使ってもらったり、もう20代も終わろうかというのにTwitterで仲良くなった大学生にやり捨てされたり、昔付き合っていた人と数年おきに仲直りしては疎遠になってそれに伴い裏アカウントからフォローされてはブロックされを繰り返していたり、思いがけない知人との再会のきっかけになったり、交際相手と出会ったり、本当に色々なことがあった。

TwitterはXになる。なるが、そのサービスの本質が変わらない限りは、わたしは利用し続けるのだろう。

おわり