立岩真也が亡くなった。
直接目にしたのは2017年に先端研の講演で喋ったはったのを聞いた一度きりなのだが、実直というか誠実というか、そういった印象を受け、その場で著作である相模原障害者殺傷事件の本を買ったのを覚えている。その印象は本を読んで尚強くなるものだった。Twitterで岸せんせが独特な立岩文体をよくいじっていたので、妙な親しみも持っていた。Twitterで氏名をパブサにかけると、障害学における氏の功績や批判がズラリと並んでいた。功績については勿論のこと、批判的な投稿においても氏への敬意が伝わってくるものが殆どであった。お人柄なのだろう。ご冥福をお祈りします。
ラジオから東京音頭が流れる。「前にばあちゃんが出た結婚式で、東京音頭がどうだ〜みたいな話あったやんな?」とおばあちゃんに尋ねる。「そんなんあらへん」と言われた後に、「私のお父さんがな、Sさんの結婚式の時に東京音頭踊ってな、普段そんなんする人違うのにびっくりしたわ」と言うていて、「その話や!」と即座に間の手を入れてしまった。ナチュラルボケかまさんといてくれや。「そんな話したか?」としらばっくれられたが、「前にラジオで東京音頭が流れたときにそんな話してたで」とお返事。「してへんと思うけどな」とおばあちゃん、しつこいな。
おばあちゃんの父親、わたしからしたら曽祖父にあたる人がそれなりに歳を重ねていることに気づき、戦争から帰ってきはったんやね〜言うたら、そもそも戦争に行ったはらへんかったらしい。緑膜?かなんかで肺に影があったお陰で工場勤めで済んだらしい。今にして思えばおかしな話だと前置きしながら、「なんでうちのお父さんは戦争に行ってへんのや」という憤りが当時はあったことを教えてくれた。本を読むのが好きな人で、京都の古本屋で本を売っては買いを繰り返していたらしい。離れて暮らすひもじい時代に偶に顔を合わせたと思ったら食料ではなく本を寄越してきたので大層がっかりしたとも話していた。いやあ、ええ話を聞いたね。
新しい生活に向けて色んなことを整理していく時期なのだと思うと医者に言われた 整理できるとよいが あと医者にもパブリックな場よりもディープな場での労働を勧められた
おわり