明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

230820

昨日感じた撮影とセックスの近似について整理したい。

フォトジェニックな対象がある。それは風景であったり無機物であったり動植物であったり人間であったりする。それらを被写体としたい、自らの手でシャッターを切り写真に収めたいと思う。これが性欲に似ている。

性欲は性的魅力を有した対象であれば、誰に対しても抱き得るものである。別に仲良くない人であっても、エロいな〜セックスしたいな〜と思うのはおかしいことではない。それをところ構わず表明していたらおかしいが。写真もそれに似ていて、特に人間を被写体とするものにおいて、よく知らない人だけれどフォトジェニックだから撮らせてもらいたい!と思うことが結構ある。

しかしながら、セックスも写真も、よく知っている人としたり撮ったりする方がいいものになることが多い。知り合いたての人とのセックスや撮影には新鮮味や刹那性があったり、プロのセックスワーカーやモデルには専門性があったり、そういったものでしか出ない味があるのは重々承知しているが。

セックスと撮影で違うのは、まあ写真を撮るくらいなら沢山の人としていてもおかしくないが、セックスだと今日の社会通念上妙なことになってくるみたいなところだろうか。似たところがあるコミュニケーションの行為だとは思うが、社会的にそこは大きく違う。

街でおしゃれな人を見かけると撮らしてくれ〜と思うことが沢山あり、実際に声をかけて撮らせてもらえたり断られたりすることがある。それはそれでまあ楽しいのだけれど、好きな知己であればブサイクだろうがダサかろうが撮りたいな〜と思わされ、残った写真が共通の思い出にもなる。だから友人知人の写真を撮るのが好きなのだと思う。

性風俗を利用したことはないが、昨日知り合ったモデルの人には一度撮影を依頼してみようと思う。そういった撮影にはあまり興味がなかったけれど、折角のご縁なので。一度やってみて、想像通りの感覚であればそれはそれでよいし、思いの外楽しめたなら尚よい。

セックス写真のこと書いてたら今日の色々を書く気あんまなくなってきたな。朝方に昨日の写真をのん氏に送った。昨日も書いたが依頼されて取り組む撮影は今後対価を戴くことにする。自分の趣味で撮ったものの編集も終わってないのに、こういったことを安請け合いし続けていたら本当に身が保たない。それはそうと昨日はいい撮影ができたと思うが。ゴマ粒みたいな大きさのゴキブリっぽい虫を2匹殺し(ゴキブリであってほしくないが、触角がいかにも奴らのそれだ)、ゴキブリムエンダーをシューッッッとしまくる。沢山生まれてないと良いが。明日はブラックキャップも買おう。無水エタノールのボトルをひっくり返してしまい、洗面に流れゆくそれを見届ける。悲しい。夜にぐっちょむはんとモメたんはん(はじめまして)とTwitterのスペースでお喋り。職業っぽい発言をしたことで褒められが発生、おおきに。

おわり