明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

懐かしのポケモン達が時間と空間をこえてやってきた

ナルシスティックな話だが、自分史のようなものに対する意識が小学生の頃から強くあった。己の卑小は当時からうんざりする程に感じていたが、自身の内側に連綿と続く意識があることが妙に面白かった。何年か前にここに来た際に父親に言われたことを未だに根に持っているなとか、小3の夏の塾の自販機で買ったファンタグレープの小さな缶が初めての1人の買い物で、このことをきっと忘れないだろうと感じていただとか、そういうことを思っていた。そういった自分史を自身の外側で確認することも好きで、小学生の頃に買い与えられたガラケーで撮った写真をバックアップしていて、今この手にあるiPhoneで見ることができるのも、また写真撮影が趣味になっているのも、先述の意識に起因するものなのだろう。

そういった連続性を感じる外部装置のひとつに、ポケットモンスターシリーズのゲームがある。あんな子供染みたゲームで、と自分でも思うし、ポケモンが大好きかと言われるとそうでもないにも拘らず、である。

94年生まれの多くは幼少期にポケモンのアニメを観て、小学校に進学する前後に金銀のどちらかを親に強請り遊んだことだろう。歳を重ねる中で、なんとなく中学生になる頃にはその子供っぽさにうんざりして離れ、高校生や大学生くらいになって対戦ゲームとしての奥深さに気づき再度プレイする、といった話をよく聞くが、自身もまた概ね似たような経過を辿っている。

初めて遊んだのはピカチュウ版だった。テレビアニメに影響を受け、中古のゲームショップで買ってもらったことを覚えている。当時5歳の明るい生活ちゃんの知的水準ではレポートを書いてセーブすることすらままならず、半泣きでGBCを放り投げたことを覚えている。その為、わたしのイニシャルポケモンは結構散々なものとなっている。

その後、小学1年生になってクリスタルバージョンを買ってもらった。テストの点がどうだったら、みたいな約束に対する報酬としてである。作品の舞台となるジョウト地方は我々の世界の近畿地方をモデルとしていて、なんとなくその雰囲気が肌に合ったことを覚えている。最初に選んだワニノコ、夜まで起きて捕まえたホーホー、木から落ちてきて自爆するクヌギダマ、何か強そうでそんなに強くないニューラ、友達やそのへんで知り合った子供との通信交換や対戦、全てが輝いていた。

中学受験に専念する為に、自身のポケモンゲーム史はサファイアで一度止まり、再開は2009年のソウルシルバー発売まで待つことになる。学校の友人達が所謂3値と呼ばれるものを意識した対戦ゲームとしての面白さを喧伝しており、昔遊んだジョウト地方シリーズのリメイクならば!と発売日に友達と量販店まで買いに行った。あれも輝いていたな。クラスの人気者がエテボースにキャンタマというニックネームをつけていたこと、腹太鼓カムラの実リザードンで3タテしたこと、通信交換を用いて旅の6匹にポリゴン2を導入したこと、これも輝いていた。

以降のポケモン史は極めて断続的で、サファイアからソウルシルバーまでの空白になっていた期間のタイトルこそ遊んだものの、次世代のブラックホワイト発売時には自身も周囲もポケモン熱が冷めていた。以降も友人に誘われて新作を遊んでは空白の過去作にも取り組んでは冷めてが数回あり、空前のブームから何となく惰性でポケモンGOを遊び続け、またしても友人に誘われて最新作のバイオレットで遊ぶに至っている。

ここまでは内的な、いわば最早確認する術もない思い出話なのだが、ポケットモンスターシリーズには後方互換のシステムがある。GBA以降のハードで捕まえた個体を次世代機ソフトに連れていくことができるのだ。つまり、最も古いもので2002年に発売されたソフトで生成されたデータが、2022年発売の最新作で高精細に動き回るのである。中々にロマンティックな話ではなかろうか。半生の中で折に触れてポケモンのゲームに触れてきたわたしは、都度ちまちまと次世代ハードにポケモンを送り続けて、気づけば20年経っていたというわけである。ポケモンというコンテンツに強い執着を持っていたつもりはなかったが、ここに堪らない自分史的な味わいを感じるのだ。

f:id:Halprogram:20230913223608p:image上から順にサファイア、XD、ソウルシルバー、銀(VC)、GO、バイオレットで捕まえた個体 GBAGC、DS、3DS(GBC)、iPhone、Switchとハードにして6種、年月にして20年以上に跨っている

ゲーム中で捕まえたポケモンには、各個体毎にトレーナーメモと呼ばれるテキストが添えられている。どんな性格だとかどこそこで捕まえたとか、そういった記述がなされているのだが、古いゲームから連れてきた個体には"○○地方(捕獲されたゲームの舞台)から時間と空間をこえてはるばるやってきたようだ"という文言が添えられることになっている。時間と空間という部分は、作品によって時系列が前後することや、リメイク作の存在から同じ地方が舞台の似たような物語であっても世界線が異なるといった設定から生じた文言なのだろうと推察することができる。しかし、このテキストはゲーム中の世界の話に留まらず、現実を生きる我々プレイヤーに語りかけるテキストとして読むことも可能だろう。20年も昔のゲームソフトから、時間の流れと共にハードの壁を飛び越えたポケモン達は、正に時間と空間をこえてはるばるやってきたのだ。

この20年の間に、わたしは子供から大人になった。ゲーム上のデータであるポケモン達は、20年経っても変わらず元気そうに動いている。彼らの不変には、変わりゆく自身の連続性とちょっとした愛おしさを感じずにはいられないのだ。そういったことをバイオレットのDLCを配信初日に歴代のパートナー達と取り組んで感じた次第ですわ。

おわり