明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

220409

朝早くに目が覚めたので、いつもより早目に電車に乗った。同期から、「SIGMA fp Lで撮った写真を見せてほしい」と、社交辞令を言われていたので、それに応じる為に、iPhoneを手に取り出勤した。

ツイートをよく読んでくれているフォロワーはご存じのことかと思うが、わたしは基本的に携帯電話を持ち歩かない生活をしている。その理由の一つが、携帯電話を携帯することによって、社会や他者との接続を常に要求されるようで嫌、というものだ。携帯電話は確かに便利だけれど、UNIQLO無しでは生きられなくなったように、心のどこかが強制労働を迫られ続けるような、そういった感覚がある。この感覚から逃れる為に、携帯電話を常に所持するという社会の規範から逸脱し、そのノリを謳歌している。幸いしょっぱい非常勤を掛け持ちする分には、こういった奇行で不自由をすることは殆どない。携帯電話を携帯しないことによって、思索に耽ることや、目の前に広がる景色を愛おしく思うことが増えた。以前はポートレートにしか関心が無かったのが、街の景観をスナップすることを楽しむようになったことには、フリーターとなって他者との繋がりが希薄になったことだけでなく、こういった機微が背景にあるように思う。

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早めの電車に乗ったことで、常勤の通勤と被りそうだなあと危惧していたら、案の定バツイチと遭遇した。危惧していた、とは言ったものの、まさかそこで会うとは!というような駅で顔を合わせたので、ギョッとしていた。向こうはこちらが早く出ていることに驚くという一役が更に乗っているはずなのだが、表面的には堂々としていた。

出勤したら、PCにわたしの似顔絵を描いたポストイットが貼られていた。髪の長さはこんなものだけれど、センター分けの触角ヘアにすることは極稀なので、コイツはどういうわたしの像を内在化させているんだ?と不安になった。

f:id:Halprogram:20220409204840j:imageよっぴぃは歳下上司にゃんがわたしを呼ぶ際のあだ名だ 昔仲良くしていた人が呼んでいたそれを揶揄ってこう呼ばれている 少し恥ずかしい

同期と歳下上司にゃんにSIGMA fp LとLEICA Q2で撮った写真を見せた。綺麗、構図がきまっている、とお褒めの言葉を頂戴した。被写体の魅力とフルサイズ機の描写力で誤魔化しているだけなんだけどな。f:id:Halprogram:20220409205608j:imagef:id:Halprogram:20220409205651j:imagef:id:Halprogram:20220409205612j:imagef:id:Halprogram:20220409205559j:imagef:id:Halprogram:20220409205626j:imagef:id:Halprogram:20220409205621j:imagef:id:Halprogram:20220409205824j:imagef:id:Halprogram:20220409205616j:imagef:id:Halprogram:20220409205629j:imagef:id:Halprogram:20220409210004j:image

従妹と写真を撮る予定が決まった。前回は彼女の家の近くで撮ったが、今度は京都で撮る。従妹の顔が整っているとポートレート遊びが捗るのでよい。f:id:Halprogram:20220409210535j:imagef:id:Halprogram:20220409210531j:image

この人はわたしの写真に対して、無意識なとこをとるのが上手い、と評してくれた。コンセプチュアルな写真よりは、相対的にそういうものの方がマシなんだろうな、と自分でも思う。この前ポートレート遊びをした友達は、女の子を撮る才能がある、と言ってくれた。被写体が魅力的で、そこに随分と頼り切っているとは思うが、わたしとのインタラクションによって引き出せているものが何があるのだとしたら、望外の喜びだ。

バイト中、暇だったので『愛と欲望の雑談』(雨宮まみ,岸政彦 2017)を読み返した。アナーキーな欲望こそが真の欲望である、とするノリへの反抗の話で、露悪的な語り以外を本心と認めないようなノリが大学生の頃の自身の周辺には根強くあったことを思い出した。嫌なノリだったけれど、それに迎合して上手く立ち回った自分がいたことを忘れてはならない。大学生の頃に是としていたものの多くは、今にして思えば粗野で品性に欠けるものであると言わざるを得ないが、その頃のわたしから地続きで今のわたしがある。どこかで、そういったものへの落とし前をつけなければならないと思っているが、どのようにすればいいのかわからない。せめて、自分の思いには誠実でありたい。Twitterも日記もその練習だ。誠実とは、人間の長所として語るべきものではなく、大前提として必要なものだ。優しいだけの男が面白くないのと同じ構造だ。面白い人間になりたい。面白い人間って何ですか?よくわからないが、露悪的な語りが全てではないと信じたい。

おわり