Twitterのアカウントを消し、LINEでのやり取りに移行した元相互に連絡を取ろうとしたら、ブロックされていた。真剣な相談話に応じたりしていたので、ブロックされているとは思いもしなかったが、「元気になったら連絡しますね」とメッセージを送ってから半年近く経ってしまっていたので、念の為…と思いスタンプチェックをしたら、ブロックされていた。是非お話ししたいです!と言ってくれていた頃の彼女はもういないのだ、わたしの不調が彼女を不快にさせたのだ、こういった事実が辛い。他者からの拒絶や分断は、本来であれば緩やかに温度を失いながら生じるものであるはずなのだが、ソーシャルメディア上の繋がりの断絶は唐突かつ無機質に可視化される。そういうものだと言われればそれまでなのだが、何度経験しても慣れない。
『エモーショナルきりん大全』を少し読んだ。
ドラレコのように映しておいてくれ二十七歳のなにごとのなさ
感情が花だとしたら(感情は花ではないが)いろはすをやる
ずいぶんと長いあとがき読み終えて登戸にまだ留まっている
一緒に死ねなくてごめんねぼくだから花腐すだけが特技の雨だ
(上篠翔『エモーショナルきりん大全』26,33,48項)
特に印象に残ったのは上記の4首。雨はいつまで降り続けるだろうか。
午後は通院。医者から元気がないと言われた。次のステップとして、毎朝朝食を摂るように言われた。できるだろうか。
ファスト映画と呼ばれるものは、一昔前にオタクくんの間で流行った『忙しい人の為の○○』という動画群と同じ仕組みだと気づいた。流行り物のアブストラクトだけを知りたい人がああいうものを観るのだろうと思っていたが、どうもそればかりではないらしい、というのをこの記事を読んで知った。
映像作品の楽しみ方が根本から違うのだと思わされる。文字情報しか読み取れないバカのことは心底嫌いだけれど、素朴に感想を述べることを難しくさせる要請のようなものについては賛同できる部分があった。それでも、表明することと別で自身の考えを持つことが重要だとは思うので、当該記事でZ世代の行動様式とされているものには忌避感を覚えるが。
人に謝られると、心底怒っていること以外は謝らなくてよいと返答することが多い。許す気がないのかもしれない。それと、カジュアルな謝罪が苦手で、どうしても他人行儀になる。
Instagramでイケてるオレンジ色のカットソー?スウェット?を見つけた。月末の給料日まで残っていたら買おうと思う。
明日はマジイキちゃんと9ヶ月ぶりに会う。カメラを持たずに人と会うのも久しぶりだ。iPhoneで記念撮影くらいはしたいな。何を着て行こうか。彼女はユリウスのスキニーを穿くような人が好きだと言っていた覚えがある。スキニーはユニクロのそれしか持っていないけれど、ボトムスはこれで決まり!
おわり