明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

220421

まこまこまこっちゃんこと、まこと会った。まこは大学の友達で、それ以上でも以下でもないのだけれど、大学卒業以降もネット上で緩やかかつ薄く交わる機会が時折あり、ブログ開設を機にその交わりを改めて感じたので声をかけ、卒業式振りに会うに至った。

近況報告らしい近況報告をするでもなく、ぎこちなさと懐かしさが同居した時が流れていく。これだ、これが大学の友達の感じだ。顔を合わせてしばらくして、そういった話になった。わたしと彼の間には、特別噛み合っている部分があるわけではない。にも拘らず、緩やかで薄い交わりが時折生じていることが稀有で、その質感を味わいたくて会おうと思ったと伝えたところ、得心してもらうことができた。カメラを持って行ったものの、「写真はあまり撮られたくないな……」と告げられ、撮影はそこそこに微妙な空気感を味わった。今のやり取りが我々の関係全体を象徴しているよね、と言ったら、「岸政彦みたいなこと言うな」と返された。自分では力動系っぽいことを言ったつもりだったので、そう受け止められるか……と意外に思った。

死ぬ程仲良しだとは思っていないし、明日から毎週飲もうぜ!と声をかけることもないけれど、折に触れてこういう質感を味わう機会があると嬉しい、というような旨のことを伝えたところ、渋々ながら同意を得ることができた、と思う。来年か、再来年か、もっと先になるか、そんな機会があるかもわからないが、また薄く交わることがあれば声をかけたい。

帰り際に、わたしのブログの登場人物が"セクハラ"や"バツイチ"等の呼称で、そういう風に人を捉えている感じに少し引く、と言われた。それをテキストにすることで、自身の中でそういったイメージを強化しているだろうとも。これに関しては言わんとすることが理解できて、何年か前に自身で言及してもいた。

これについて、現在では明快であることに加えて、日記として公開するに際して個人のイメージから少し離れることに意味があると感じており、嘲笑のような意図は無い、と説明したところ、一定の理解を得ることができた。しかし、行為への批判を意図で弁明することは愚者の振る舞いだな、と後になって思った。相手が喜ぶと思って誰彼構わず人間を殴る奴がいたら、それは間違いなく危険な人物だ。今回の批判はここまで単純化して語れることでもないとは思うが、セクハラやバツイチがこう呼ばれていると知ればいい思いはしないだろうということも理解できる。わたしの良くないところとして、露悪的な言動をしている一方で、性根はヒューマニストなんですよ〜というような態度を取ることで、お手軽ギャップポイントを稼ごうとする傾向があることも、久しぶりに思い出した。

桝形商店街のLIONKITCHENは、温かい雰囲気の店内でリーズナブルで美味しい食事を楽しむことができる、素敵なカフェです。出町柳に御用の際は是非。

おわり