明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

220529

昼食時、ラジオから流れる東京音頭に「これ、ヤクルトか?」とおばあちゃんが言った。確かに東京音頭ヤクルトスワローズのファンが応援時に歌うことがあるが、東京音頭で真っ先に浮かぶものがヤクルトというのは妙な気がする。「そういえば」と続いたのは、おばあちゃんの父親が親戚の結婚式の余興で東京音頭を歌っていたのを思い出した、きっと他にレパートリーがなかったのだろう、という思い出話だった。これだから年寄りと話すのはやめられない。こういった滋味深いエピソードを思いもよらないタイミングで披露してくれる。曾祖父さんも親戚も東京の人ではなかったようなので、おめでたい雰囲気のある選曲の結果なのだろうということで話が落ち着いた。たまらんね。

先の結婚式のような、普段は意識していないものの、外的要因によって想起される他愛無いエピソードがたまらなく好きだ。今までも変わらず存在していたにも拘らず、突如としてその人の厚みを感じさせられるあの感覚がたまらない。仲良くしていたあの人にも、こういったわたしの知らない厚みがあるのだろうか、あるいは、その厚みとしてわたしが存在していたらどれ程嬉しいだろうか、そういうことを思う。

Kindleでカメラ雑誌を読み漁る。写真を生業にしたいわけでもなければ、雑誌に投稿をしたいわけでもないのだが、掲載されている写真と自分のそれを比べると天と地程の技量差があることを意識させられ、うんざりする。勉強しながら撮りまくるより他ない。落ち着いたら、iPhoneでなくカメラを手に取りたい。

今日も今日とて何もできなかった。明日はバイト、どこを寝床にしようか。

おわり