明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

220720

宿題を提出し損ねていたせいで、大人としての要項を満たすことができず、高校生をやり直す……という内容の夢から覚める。この手の夢を未だに何度も見る。もううんざりだ。わかったから、どうか許してもらえないだろうか。f:id:Halprogram:20220720233348j:image

岸さんの講義に潜る為に京大へ向かう。前期の最終週で、総括のような話をされていた。聞き取り調査では語りを実在論の立場から聞く、臨床は違う、という話をされていて、そうではないにも拘らず自分に向けて話してもらっているような感覚を覚える。そもそもの目的や立場が違うのだから、表面的には似ていてもアプローチは異なってくるというのは当然理解ができる話なのだが、隣の芝生は青く見えるのか、社会学における質的調査の聞き取りの方が語り手の語りに対して誠実なように思えて仕方がない。臨床は臨床で、治療という素晴らしい目的があるのだから、それに向かってちゃんとやっていけばいいのだが、語りそのものの扱いというものを考えると、この思いは拭えない。講義終了後、何を質問しようかと少し悩んだものの、最終週ということもあって沢山の学生が教室に残っていた為、挨拶もせずに京大を後にした。f:id:Halprogram:20220720235100j:image昔好きだった人と一緒に行ったおむらはうすだよ〜んv この辺りには"おむら家"という店もあり、めちゃくちゃややこしい

院生の頃に、「臨床の勉強はいいから、隣接する学問の本を読みなさい」と言われたことを思い出す。臨床の勉強はいいから、は字義通りに受け取ってはいけないだろうと今では思うが、たとえば哲学の本は物事の考え方を幾分か柔らかくしてくれたような気がする。気がすると言っても、千葉雅也の柔らかい著作を何冊か読み、ほんならちょっと飛ばしてみよかいと手に取ったヴィトゲンシュタイン青色本はさっぱり理解が出来なかった、その程度の理解でしかないのだが。それでも、哲学は凝り固まった視点から人を解放してくれるものであるのだろうと、確信のような、希望のような、そういった類の思いを持つには十分なものだった。f:id:Halprogram:20220720235322j:imageB2の6月頃、サークルの飲み会をここでやった覚えがある

一等お世話になった先生に、上間陽子の『裸足で逃げる』を貸したことがあった。院生室でこれを読んでいたら先生が興味を持ち、「よければ」と貸しておいてこんなことを言いたくはないが、まだ読み終えてもいなかったのに1年以上借りパクに近い状態にされたことを覚えている。『裸足で〜』は、沖縄の夜の街で働く女性が暴力から逃れる過程を描いたルポタージュで、著者であり聞き手の上間は参与観察と言うよりは介入と言っても差し支えないような関わりを調査対象と持つ。この社会学的とも臨床心理学的ともつかない、一歩踏み込んだ関わりを描いた本を、先生は「臨床家として今の自分に必要なものがここにあった」という感想を教えてくれた。先生にとって必要だったものが何だったのか、当時のわたしはいい加減に聞き流してしまっていたらしく、最早思い出すことができない。いつか先生と会うことがあったら、そのことについて尋ねてみたい。そんな機会があるのかは知らんが。f:id:Halprogram:20220721000002j:image

岸さんが"生活史的センス"と呼ぶものがある。生の語りや、そのままであることを尊く思う、それこそ実在論的態度のことであると理解している。大学生の頃、サークルの先輩に贈るビデオレターを編集した際に、発言の間を埋めるような編集をせずにほぼノーカットで繋ぎ合わせていたら、冗長だと批判をされてショックを受けたことがあった。この、何をこの人に伝えようかと思い巡らせる仕草や唸りを愛しく思わないのか?と衝撃を受けたのだ。今にして思えば、これは"生活史的センス"なんじゃないですか?と思うのですが、いかがでしょうか?f:id:Halprogram:20220721000113j:image

時間がない。いつも日を跨ぐギリギリの更新になってしまっている。京都の街には終わった人間関係を想起させるものが多すぎる、人から受けたポジティブな評価をいつまでも盲信してしまうから毎日が苦しくて仕方ない、あの時好きって言ってくれてたのは嘘だったの!?寂しくて仕方ないんですけど??もう!!みたいな話をするつもりだったのに時間がきちゃって書けないね。残念。f:id:Halprogram:20220721000206j:image
f:id:Halprogram:20220721000147j:image
f:id:Halprogram:20220721000154j:image2021年7月20日 憎んで止まない祇園祭

おわり