明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

220909

長い日記がしばらく書けていない。事実の羅列以上のものが書けない。これは日々の味気なさによるものか、あるいは疲れか、それともここに書けるような質感の出来事ではないか、単一の要因ではなく複合的なものかもしれない。今日はまあ、ギリギリ書けそうな気がする。書く。

髪を切りに行けなかった。傷んだ毛先と伸び切った刈り上げが見すぼらしくなってきたので、とりあえずカットだけでも……と思い、出勤前にバ先付近のチェーン店に寄るつもりをしていた。結果として、早起きには成功したもののしばらく動く気になれず、このまま縦になってボーッとしている位なら……と思い再び布団を被った。心地よい二度寝ができたわけでもなく、無為に時間が過ぎていったように思う。人生の縮図のような朝だった。

出勤中、横断歩道の向こう側から白衣の男性がやってきて、こちら側にいた女性に対して「元気?」と声をかけていた。察するに、近くの病院の医者と患者なのだろう。この温かいやり取りが、2人の赤信号を無視した横断の最中に行われたものでなければ心から微笑ましく思えたのだが。

キショバカが所属する団体について、心理士の君はどう思う?と尋ねられた。どうも、外で心理士に何かを言われたらしい。代表が親学を推進していたり、行き過ぎた行動主義みたいな考え方を掲げていたり、あまり良い感情は抱いていないと伝えたところ、やっぱり……と言われた。曰く、心理学に精神分析認知行動療法というような派閥があるように、教育にもそのようなものがあり、当該団体もその一つであって、あなたが良く思っていない点は世代交代と共に改善へ向かっている、とのことであった。向こうは話せて満足したらしい。わたしは当該団体と弊社の関係によっては辞職も考慮しなければならないと思っていたので、一方的な宣言に今ひとつ得心がいかなかった。この件についてはいずれ話さなければならない。

3年目にも前髪を切り過ぎてどう見られちゃうか気にして落ち込んだ過去とかあるんですか?と尋ねたら、それくらいありますよ!と言われた。でも中学生の頃のことなんで、もう何も覚えてないです、とのことだった。他者に興味のない3年目にもそんな季節があったんだな。じゃあ、友達と過ごした時間で印象に残っている出来事は?と尋ねると、思い出せないと言われた。これにはかなり驚かされた。今でも遊ぶ友達はいると聞いていたので、そういう人達との昔話が聞けるかと思っていた。1ヶ月以上前のことは思い出せない、楽しいと思ったことは覚えているが、どこで誰と何をしたかまでは覚えていない、とも言っていた。じゃあ生活さんはそういうの言えるんですか?と問われたので、具体的なシチュエーションとその際に感じたことや今だから思うことを添えて思い出を切り売りしたところ、大層驚かれた。なんというか、とことん逆を行くような面があって3年目は面白い。ひどくかっこよく見えて、憧れがある。

激ヤバ新入社員が無理でセクハラが辞めるのに、セクハラの後任に激ヤバが就くことになりそうで、弊社は辞める人間をかなり軽んじているなと思わされる。誰からの命かはわからんが、また少し周囲を信用できなくなる。

事業所が出すお便りの挨拶文を書くように言われ、書く。まあまあ良い文が書けたように思う。

2013年9月9日は聖帝頌歌に合わせるかのようにBLEACHの千年血戦篇・訣別譚が連載を再開した日だった。映画サークルの撮影の合間に、喫茶店かどこかでワクワクしながら読んだのを覚えている。あれがもう9年前か。9月9日の写真を探したら、高校生の頃に一瞬交際した人の交際前の時期の写真があった。無事生きてくれていたら嬉しい。

なんか、テーマに沿った書きたいことは前に一度やったように雑記にすればいいのでは?という思いから、毎日の更新で放出できなくなっているような気がする。どうせ大したもの書かへんねんから、ちゃっちゃと出してまい。はあい。

去年の今頃も髪切れてなかったらしい

おわり