明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

221107

大阪の生活史の聞き手の募集に落選していた。当選していたら儲けもの位に思っておこうと言い聞かせていたが、いざ落選となるとやはり気分が落ち込む。相互の相互くらいのアカウントが当選の喜びをツイートしているのを目にして、憎たらしく思う。あんたは何も悪ないねんけどな。おめでとう。

落選通知のメールには、"選考の基準は「語り手の具体性、インタビューの実現可能性」 を最優先とし、 500名超の応募者から半分ほどに絞り込みました。聞き手の数を150人へと確定していくにあたっては、『東京の生活史』のときと同様、 最終的に抽選方式での選考となりました。"とあった。これを踏まえた上でわたしの応募文を読み返すと、わたしが話を聞きたいとする語り手像が曖昧であったことに気づかされる。個人的な興味関心も書き記しつつも、大阪に縁のある誰もが語り手たり得るというような内容では、語り手の具体性に欠けるという判断だったのだろう。確かに、これが論文の研究計画書なら、もう少し具体的にと言われても仕方のないものである。市井の人間の多様性を損なわぬようと考えあぐねた末の記述ではあったが、それは150人分の語りが集まることによって担保されているのであり、「誰に聞いてもいいなら別にあなたが聞かなくてもいいよね」と、抽選にかかるよりも前の段階で篩にかけられたことが容易に想像できる。くじ運の無さを呪うなぞ100年早く、純然たる実力不足だったのだ。大阪の生活史の聞き手、やりたかったなあ。元気があれば知り合いや友達にインタビューをして小冊子を作りたい。

通勤電車の中で仕事へと向かう顔を作る。最近になって、電車の中でメイクをする人の気持ちが少し分かるような気がしてきた。メイクとは目的に応じた顔になることであって、身体が目的の地へ向かう過程と目的に応じた顔になる過程を同じ時間に重ねることは、目的に対して高度に没入する行為なのだろう。だからといって、電車の中でメイクをすることが社会通念上好ましいことだとは思わないものの、単なる時間の節約に留まらない意味があるように思え、そういう人達に対して少し優しい気持ちになれるようになった。コロナ以降の社会ではめっきり見かけなくなったが。

バイト先に同じ専門の院生が入ってきた。同じ専門の後輩が職場でできるのは初めてのことで、心底嫌になる。自信の持てない分野で後輩ができるというのは本当に居心地が悪い。実習や他の専門のバイトもまだやっていないということで、彼女にとって学外で初めて目にする身近な有資格者ということになっているのかもしれないと思うと、頼むからもっとちゃんとした奴を参考にしてくれ〜となる。いつまでも専門職としての自信が無い。いつまでも言うてもまだ3年目なのだが。激ヤバ新入社員が院生ちゃんに対して先輩風を吹かしていたのは見ていて面白かった。皮肉でもなんでもなく、職場の先輩やねんからそら吹かした方がええわな。帰りの電車で激ヤバと2人になったとき、「あの人スタイル良すぎませんか?出るとこ出てて、腹立ちますよね?」と聞かれた。腹は立たない。

仔細は書かないが、寂しいなと思わされることがあった。寂しいです。

今日の良かったことはツイキャスで相互にゃんが妊活のことを「まあ中出ししまくってるんだけど」と言っていたことと、朝食べた塩昆布と卵かけご飯が美味しかったこと、高校生の頃に読まなくなった新テニスの王子様の1〜4巻をあげた友達が何年か振りにアカウントを動かしていたこと、これくらいですね。

f:id:Halprogram:20221107233221j:image2019年11月7日 従妹と叔母と犬
f:id:Halprogram:20221107233227j:image2014年11月7日 京田辺BOX 映画サークルのDVDBOX(作品集)を作る もうDVDの時代じゃないしそういう文化も無くなっているんだろうな

去年週5.5で働いたの無理があった 映像系の無限に連勤してる人はすごいな〜と思う

試験で東京に出た日だった 新宿から新線新宿に乗り換える時に見た気がする

この頃思い出せてた人の笑い声、もう誰も思い出せない気がする

おわり