明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

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眠る前にTwitterのスペースで"好きな人に好きになってもらいたい"みたいな真剣20代喋り場をやっていたら、昔好きだった人に大学の図書館で注射器を刺される夢を見た。昔好きだった、と書いたものの本当に好きだったのかはよくわからない。ただ、その人に対する執着はかなり強くあって、こちらに対する執着も持たれていたように思う。何年かおきに連絡が来て再び顔を合わせるようになる日々が一時的に続くものの、楽しかった頃の関係を再現しようとされて現状とのズレを埋められずに、なんとなく自然消滅……というのを何度か繰り返していて、最早楽しかった頃がどのような塩梅だったかを思い出すことも難しいが、塩梅こそ思い出せずとも楽しかったということだけは確かに覚えている。その人はきっと今のわたしではなく、楽しかった頃のわたしを今のわたしから見出そうとしていて、おそらくわたしもその人に対して同じようにしていたのだと思う。それは最早、内在化された個人の像であって、個人そのものではないというのに。もう何年も話していないが、夢に出てきたその人はボーダーの典型のような言動をしていて、ああ、こんな感じの人だったなあ……と懐かしくなる。昔はボーダーっぽい人に魅力を感じることが多かったが、それは間違いなくこの人の影響で、そして誰1人として他に同じ人はいなかった。当たり前のことではあるが。しかし、ボーダーとされる人の傾向の、病理とされない健康的な部分というのは何故あんなに魅力的なんだろうな。いやはや、あまり昔から変われていないかもしれない。

大学院を出て来年で4年目になるというのに、未だに高校から大学院における課題が達成できずに卒業に失敗する夢を見る。というか、見た。初夢が新年を占うものであるとするならば、大晦日に見る夢は去る一年がどのような年であったかを総括するようなものではないだろうか。お前はまだ何も為せていないし、為したいのであれば為さねばならないことを為しなさい、とトートロジカルに言われているような気がする。いつになったら為せるのだろうか。

出演作の監督から、私的な付き合いにおいて自閉傾向のある人間とどのように関わるのが好ましいか尋ねられる。話を聞いて、なんとなく思い浮かんだことを答えた。「専門家の話が聞けてよかった」と言われてハッとする。この人との関係において専門家としてのロールは降りているつもりでいたのだけれど、浅いなりにも専門家としての経験を持った人間であることに相違なく、そういった部分を頼りにされていたのだな。この人との関係は大学の先輩と後輩で、監督と出来の悪い役者で、そういう縦を強く意識させられるものが根幹となっていたので、横のように頼られたことに素朴に嬉しく思う。エス・ノト戦で白哉に認められたルキアの心境って、こんな感じだったのかもしらんな。

おばあちゃんと年越し蕎麦を食べる。祖父健在の頃に除夜の鐘を突きに行くことはあったが、家で一緒に過ごすのは初めてのことだ。落ち着く。不完全ながらも両親から逃れられて、本当によかった。三山ひろしが今年もド滑りけん玉をやっていて、いい加減根性が据わってるないうような塩梅になっとりましたわ。Twitterのスペースでお喋りしながら観て、楽しかったわね。

今年もえらいお世話になりまして、よいお年をお迎えください。

おわり