明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

230111

出演作の監督に電話をかける。どうやったら写真って上手くなりますかね?というようなことを尋ねた。ムービーとスチルでは勝手が違うというのは重々承知の上で、それでもカメラを長く触っている先輩に教えを請うことには意味があるはずだと信じての相談だった。結果としては、技術どうこうの話ではなく撮影クリエイティビティにおける哲学の話に終始することとなったのだが、それが中々面白かった。

芸術の世界には、一概にこうだとは言えない矛盾するものがある。人間を切り取る映画を作る上においても常にそれを忘れてはいけないというのが導入だった。人間の中で考えが矛盾することはモノを作る上で起こり得るが、その矛盾の存在を理解することが前提として必要になる。例を挙げるのであれば、現実として存在する画の中に余計なものなど存在しないとする考え方と、この画が絵本のそれであるとするならば余計なものは存在しないはずだとする考え方があるとする。しかし、前者であっても最低限の画面の整理をする(ex.撮影時期がバレたり政治的な主張が余計な意味を与えてしまう選挙ポスターを外す)ことはあって、100ある現実を何%切り取るかというようなアプローチを取ることになる。それに対して後者は0から作り上げ、さまざまなコストを天秤にかけながら完璧な画を追求する。それらの均衡点をどこにするか、というところに面白味がある、というような話だった。

それを聞いて、岸さんの質的調査の講義で聞いた生活史的センスとされるような実在論的態度がわたしは好きで、先の例に出た前者はそれに近いところがあるように思うと伝えたところ同意を得ることができた。技術的に磨くべき部分というのは勿論あるのだけれど、なんとなくポートレート撮影において目指していくべき方向性が見えたような気がした。

哲学の話を聞いた後は、監督の新作や大学の知人の近況についての話を聞いた。新作の冒頭の内容を聞き「○○と××がパラレルになっていて、話が展開する中で相補的に交錯していくんですね」というような簡単な感想を伝える。それで合っていたらしい。大学の知人の1人は知らない間に随分調子を崩していたらしい。もう5年近く顔を合わせていないし、今後会うこともきっと無いだろうが、元気にしてくれていたら嬉しい。

今日は昔好きだった人の誕生日!こういうの、一生覚えているんだろうな。この人にあげた誕生日プレゼントを後年になってなかったことにされたのを思い出して悲しくなってきた。悲しいよ。

おわり