月が変わったからといって何かがガラッと変わることもない。連綿と続く日々があるだけだ。それでも、「ああ、新しい月が始まるのだな」と思わされるのだから、社会の下に生きていることを嫌でも思い知らされる。
本を読みたいのに、長い文章が頭に入らない。もうこんな状態が何年も続いている。千葉雅也の『別のしかたで』を読む。ハードカバーのものは何年か前に読んでいたが、増補された文庫版はまだ読めていなかったので、それを読み進める。これは確かにそうだなとか、そういう風には見えていなかったがそれもそうかもとか、そういうことが書いてある。賢い人がアホでも読めるように整えてくれた文いうのは、読んでいて安心を覚える。
最近は、ものを書くときに、柔らかい食物をスプーンで口元まで運んであげなくてはならなくなった、とある先輩が言っていましたが、そういう状況が事実である以上、あるていどそれに合わせつつ(でないと読まれませんから)、しかしギリギリの抵抗もしなければならない。
— 千葉雅也「エレクトリック」『新潮』2月号 (@masayachiba) February 6, 2010
『現代思想入門』ってまさにそういう本だよね
何で写真を撮っているんだろうなというのはここ数日思うところではあったが、それをより強く思わされるような出来事があった。こういうこともあるのか。こういうこともあるのかと思うことと、出来事を飲み込むことはまた別で、全く飲み込めていないが。一体何をしているんだろうな。
そんなん言うてる間に明日の楽しみな撮影がある。撮影よりも後の飲んで喋っての方に重きがあるかもしらんが。
いや〜しかし寒くて寂しい。性欲落ちたけどセックスはしたい。何故なら肌を重ねることができるから。あなたがわたしで、わたしがあなたというわけです。そんなことだけ考えていたい。ダメですか?ダメなんでしょうね。
おわり