明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

231103

祝日の労働は楽でよろしな 楽でしたわ

今日はこのツイートがすごく気になって、帰ってからもこのことばかり考えている。何でこれ言うたらあかんの?と直感的に思ってしまったので、自身の職能に不安を感じたからだろう。

前提として、このクライエント(以下Cl.)は何を主訴としているか、発言時はどのような状態だったか、セラピスト(以下Th.)がどのタイミングでこの発言に至ったか、全てが不明瞭であるということを確認し、話を進める。

心理面接はCl.の為の場であり、Th.はCl.に利すると思われる言動を取る。その為、Th.がCl.から受けた被害として心身の不調を表明している訳ではないと考えるのが妥当である。では、何故そのような発言に至ったのか。当該発言は前後の文脈から切断された状態で公開されている為、推測の域を出ないが、恐らくはCl.の労いを意図しての発言だったのではないか。「前回のカウンセリング後に物凄く寝たし、回復が凄く必要だった。あなたの大変さを少し体感した」に続く言葉として、「少し体感しただけでこうなのだから、あなたが曝されている大変さというのは相当なものなのでしょう。よく頑張ってこられましたね」というような、孤独な戦いに対する自我感与がなされた共感的理解の表明であると補助線を引くようなものがあったのではないか。そういうことを思った。

対してこのCl.は、リプライツリーに続く投稿で、"ケアする側の健康状態とかメンテナンスについては、利用者に言わないのは当たり前だと思うし、平然としていてくれないと話せない。それだけ自分も辛かったんだなんて思わない。その人にはもう頼れないくなる。ケアラーのケア体制の充実は利用者の最大の利益になると思う。"と記述していた。これは難しい。まず、Th.は平然としてたんじゃないかと思う。原則としては、このCl.が言うようにケアする側の健康状態等についてわざわざ話す必要は無いだろう。それを超えて面接の中で取り扱ったというのは、当該の健康問題がCl.とTh.の関係によって生じたものであり、かつそれがCl.自身の理解に資するものであり、また回復ができる、即ちTh.自身で御すことができたという3点に拠るのではないだろうか。特に最後の点については、Cl.が何を取り扱おうと問題がないという器の強度の表明や、Cl.もまた回復し得るというメタメッセージとしても機能するのではないかと感じた。しかし、このCl.にとってそうはならなかった。"それだけ自分も辛かったんだなんて思わない。その人にはもう頼れないくなる。"という記述からは、その真逆を行っているような感じさえ漂ってくる。最後のケアラーのケア体制云々の話も、自身の問題への直面化を回避する為のもののように感じる。断片的なツイートから件のTh.を評価することはできないが、現状としてこのCl.に対するセッションは上手く機能してはいないのだろう。どうしたらよかったんだろうね。

な〜んか長々と書いてしまったが、匿名とはいえネット上で目にした実際のケースの話についてあれこれ書くのってなんか不粋だわね。はてなブログTwitterは職業人としてやっているわけでもないし。講釈垂れてもうてるが、うちの推測や仮定が外れまくっている可能性や、件の心理士がとんでもないポンコツな可能性だってある。ケースカンファレンスでさえ上手く機能しないことがあるのだから、外野がワーワー言うても仕方なくて、然るべき人が然るべき行動を取っているのでしょう。

トークサバイバー2』を観終えた。とても面白かった。面白かったが、ドラマとエピソードトーク大喜利が連動する面白さみたいなものはそこまでなかった。ちょっと面白そうなドラマの合間に出演者によるかなり面白いトーク番組が挿入されるような、そんな感じ。同じ佐久間Pによるキス我慢と比べると、生のインタラクションが物語を左右しない分、魅せる作品ではないな〜というような印象があった。なんというか、トーク部分だけ切り抜いた違法転載動画がTikTokでバズることを見越したようなつくりに思えた。繰り返すけれど、面白くはあった。

明日、宝ヶ池のフェスにチュートリアルが出演するので観に行きたいのだけれど、どれだけ調べてもタイムテーブルが出てこない。そんなことあるのか?10時から18時まで、8時間もあるイベントなのに。参ったね。人気者を朝イチで起用するなんてことはないだろうから、13時頃に行けばまあ大丈夫なんじゃないかと踏んでいる。大丈夫であってくれ。

おわり