明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

231206

高校生の頃に好きだった人が夢に出てきた。先輩らが出ていく高校の卒業式で、部活の集まりに来るようにと言われる。うちはもう辞めてるから、後で写真だけ撮りにいくよと応じた。こういう大事なときの写真はミスれないからと、fp LではなくQ2を持ち出す。好きだった人と距離ができた高3の頃の状態を近年はよく思い出すが、高1高2の頃はこの夢みたいにこちらの都合をお構いなしに自身がそうしたいからと振り回してきて、そういう振る舞いに随分と救われたんだよな。そのことを忘れていたわけではないが、改めて思い出した。あと、ツイートにも認めたが、小学校の同級生で中卒即テキ屋になった後に消息が途絶えた男前の友達がSZっぽくなった状態で東京の電車の中で再会する夢も見た。ベロチューで蚊の死骸口移しされんの、夢の中でペッペッてしてたら目覚めた自分本体もペッペッしててLightningケーブルがべちょべちょなっとりましたワ。

職場2で50代人妻に結婚で関東行きますワとお伝えした。「折角親しくなったのに、残念ですけどおめでとうございます」と言ってもらえた。ありがたいね、ほんまに。

関東で働くに際しての不安やなんやを話している中でうちの人柄に対する言及があり、「最初よりも後になるにつれてどんどん好感度が上がっていくんですよね」と言われた。「最初を低く見積もり過ぎちゃいます?」言うたら、「そういうのじゃないけど、どんな人かなあって思わせるところが大きくて、一緒にいると優しい人だなってわかってくるんですよ」と言われた。後から会話に入ってきたキショバカも「だから僕は前にも君はスルメのような味わいの人だと言っただろう」とアピールしてきた。そういえばあんたにそんなん言われたことあったな。

まあ、言わんとすることはわかる。このところ散々書いているように、うちの容姿やコテコテの関西訛りに代表されるようなコミュニケーションの在り方は多くの人のノームから外れているから、ぱっと見たときにどのように理解したものかと思われても仕方ないように思う。しかし、うちの主張は表現こそ際どくもそれなりにまともな内容をしているはずなので、入口でシャッターを下ろすような人間でなければ根気良く付き合う過程で程々の評価を得ることが可能なのだということが最近になってわかってきた。というか、元来そういうものを信じてこのようにしてきたのだが、本格的に無産階級として賃労働を始めて以降、社員から主観的には不当に扱われることが多く、客観的にうちっておかしいんかな?と自信をすっかり喪失してしまっていた。ここでいうおかしいもは、多少のおかしさではなく、本格的なおかしさを指している。加えて、近年は私的なコミュニケーションにおいて、表層的なキャッチーさで初速のみの刹那的な関係を築くことが多かったので、長期的な関係の中でしか見えないこのような面を久々に、また賃労働という大人の社会の中で評価してもらえたことが本当に嬉しかった。

人からの嬉しい評価で思い出したのが、昔好きだった人から「xxを人に紹介して喜んでもらえるのって、マイナーな映画の面白さを共有できたときみたいな嬉しさがあるねんな」と言われたこと。あれはB4のときだったか。その人とは家でよく一緒に映画を観たが、『イングロリアス・バスターズ』や『冷たい熱帯魚』のような有名どころの作品ばかりで、そりゃあ本命として相手してもらえないよなあと今頃になって腑に落ちとる次第です。

おわり