明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

231207

オスプレイの飛行停止が決まった。沖縄だけでなく、全世界で停止するようだ。

上間陽子の『海をあげる』には、オスプレイの轟音と共にある普天間での暮らしが綴られていた。抑圧の象徴が生活を脅かす日々の痛ましさは、推し量るに余りある。京都で生きている分には、オスプレイの恐怖を感じることは殆どない。京都にいる自分にできることといえば、おかしいと感じたことに対して声をあげることくらいしかない。Twitterで表明したり、デモに参加したり、難しさは伴うが日々の会話の中で触れたり、そういうことしかできないが、それくらいはやらなければならないとも思う。

上記の上間の著作には以下のような一節がある。

一九九五年に沖縄で、女の子が米兵に強姦された事件のときもそうだった。基地に隣接する街で、買い物にでかけた小学生が四人の米兵に拉致されたこと、あまりにも幼いという理由で一人の米兵は強姦に加わらなかったものの、残りの三人は浜辺でその子を強姦したこと、沖縄では八万五〇〇〇人のひとびとが集まる抗議集会が開かれたこと。東京でも連日のように、この事件は報道された。
(中略)

抗議集会が終わったころ、指導教員のひとりだった大学教員に、「すごいね、沖縄。抗議集会に行けばよかった」と話しかけられた。「行けばよかった」という言葉の意味がわからず、「行けばよかった?」と、私は彼に問いかえした。彼は、「いやあ、ちょっとすごいよね、八万五〇〇〇は。怒りのパワーを感じにその会場にいたかった」と答えた。私はびっくりして黙り込んだ。
そのころ東京と沖縄の航空チケットは往復で六万円近くかかり、私にとって沖縄は、「行けばよかった」と言える場所ではなかった。でも私が黙りこんだのは、沖縄に気軽に行ける彼の財力ではなく、その言葉に強い怒りを感じたからだ。あの子の身体の温かさと沖縄の過去の事件を重ね合わせながら、引き裂かれるような思いでいる沖縄の人々の沈黙と、たったいま私が聞いた言葉はなんと遠く離れているのだろう。

それから折に触れて、あのとき私はなんと言えばよかったのかと考えた。私が言うべきだった言葉は、ならば、あなたの暮らす東京で抗議集会をやれ、である。沖縄に基地を押しつけているのは誰なのか。三人の米兵に強姦された女の子に詫びなくてはならない加害者のひとりは誰なのか。
沖縄の怒りに癒され、自分の生活圏を見返すことなく言葉を発すること自体が、日本と沖縄の関係を表していると私は彼に言うべきだった。言わなかったから、その言葉は私のなかに沈んだ。その言葉は、いまも私のなかに残っている。

上間陽子『海をあげる』233-235頁

この指導教員と自分には大きな違いが無いのかもしれない。院生の頃には「相手の身体の中に入って、その人の目で世界を見ようとするような態度に欠けている」と批判されたこともあった。だからこそ、日々の中で問題意識を内在化させ、当事者と全く同じことを感じることはできずとも、大切に思い少し近くに心を置こうとしなければならない。そういうことを思いながら、オスプレイの飛行停止を告げるニュース速報のツイートをRTした。

職場3でグリーンにも結婚するよーと報告。どうも50代保育士がうちと話した翌日にグリーンにゲロっていたようで、口軽すぎやろという話になった。「新管理者には言ってなかったから!」と反論していたものの、それはそれとして口堅い人風に振る舞うのは変やろ。50代保育士はうちが結婚すること自体に、グリーンはうちが関東でやっていこうとしていることに大層驚いていた。其々の失礼さがある。

増田聡先生がクソリプへの対応で大学から注意されたらしい。そういう旨のツイートがあり、一部のクソリプを引用RTしたものを更に引用RTし、発言の撤回と謝罪をされていた。なんだかなあ。アタマが不自由とか、やっかみバカというような表現が際どいというのは理解できるが、論旨であるルサンチマンが知的成長と自由を阻害するという部分には何の誤りも無いと思うのだよな。そのあたりを混ぜこぜにしたような謝罪を表明せざるを得ないというところが、読んでいてとてももどかしかった。残念だ。

よくよく思い出すと、今年はSNSで知り合った大学生からセックスに誘われて、なんか恋愛っぽい雰囲気になって、メロメロになって、セックスして、捨てられて、というかその時点では別の人にもうつつをぬかしているという、そういう最高のスタートを切っていたんだよな。それがなんや結婚だなんだ言うとるわけやから、何が起きるかわからんもんやね。

おわり