明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

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松本人志の性暴力が告発されていた。女遊びも芸の肥やしとはよく言うが、そういう行為は相手との間に介在するものが金銭や名誉(本当に名誉なことかはともかく)であったとしても和姦だとばかり思っていた。自らの権威のようなものに溺れて性暴力となるケースもあるのだろうとは思っていたが、松本程のビッグネームがこんなしょうもないことをしていたとは。

松本のお笑いの才覚と別で、氏を中心とした吉本興業的で維新的な新自由主義が跋扈した社会には辟易していたので、これを機に何とかならないものかと思う。松本に対しては、いつだったか子供の自殺の報道に対して、生を勝利、死を敗北に準えて行為を批判していたのを目にしてから強い嫌悪感を覚えるようになった。生命って勝敗に矮小化して語り得るものではないだろうに、何を言うてるんや?と思ったが、世間は「松ちゃんすごい!」という感じに見受けられて、本当に悲しかったのを覚えている。『探偵!ナイトスクープ』も局長が松本になってから観れなくなった。全部瓦解せんかなあ。でも統一教会とズブズブで国益を第一に考える右翼なら支持しづらいであろう自民党が未だに第一与党なのだから、松本もなあなあで許されてしまうのだろうか。文春には頑張ってもらいたい。

しかし、過去の被害を後になってブチギレしてもいい社会になって本当に良かったと思う。被害を受けてすぐに、被害を受けたことを受け入れることができる人はごく少数で、後になって気持ちが追いついてくるというのはあって当然のことだ。やった側からしたら、嫌ならその時に言えよと思うのだろうが、それまで拒んでいたとしても加害が成立した時点で行為を受容したと認知を歪めているケースが非常に多いのだろうと想像する。Twitterで見かけたDaiGoのようなアンチフェミは、金欲しさにタブロイド誌に売る女、という構造にしたがっていたが、社会に対する問題提起として捜査過程を覆い隠さないタブロイド誌の方が警察より有用であることを無視していて、端的に愚かだ。しかし、自分が遡って怒られる側になることも十二分にあり得ると思うと、明日は我が身でもある。実はあのセックスは嫌だったというようなことは確かにあったし、相手にそのように思わせていたこともあったのだろう。セックスに限らず、過去の自分にどつかれることがこれから先、どこかであるのかもしれない。まあそれは仕方がないか。程度にもよるが、個別事例的にやっていくしかないよなあ。

千葉雅也が言うところの「世界は本当に寂しいところになった。これでいいと本気で思っているんですか、本当のところはどうなんですか」みたいなことを叫んでしまった。それが効率化によって生活を良くしようという祈りとバッティングして、ミクロなレベルでそういう営為を阻害してまで主張することではないと思い、部分的に撤回した。色々なことに折り合いをつけてやってかなあかんなとなっとる次第です。

おわり