明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

240426

夢の中で、引きこもりの中学生になっていた。久しぶりに授業に出て、英文の空欄補充問題に解答するよう教員に言われる。単語がわからない。いやいや、仕事で英語を教えていたじゃないか、中学レベルの英語なんてわからないはずがないだろうに。身体のそこかしこで発汗している。冷たい。薄ら笑いを浮かべたところで目覚めた。6時前、まだ早い。二度寝して、今度は恋人と幸福に過ごす夢を見た。夢か。9時半頃からぼんやりと天井を見つめる。

四六時中、恋人のことが頭に過ぎる。全てを解消せずともやっていく策があるはずだと感じているのだが、上手く伝わらないのか、そのような芽が一切ないと思われてもいるのか、兎角関係の解消を前提とされている。同居の解消までは、相手の状態によっては検討の必要があるとは思うのだが。素朴な感情として、あんまりだと思う。母親は「相手の為に働け」と、祖母は「とにかく相手に合わせようとすることが大事」と言っていて、うちはそういった価値観を内在化させてきたが、どうもそれは相手にとって好ましいことではないようだというのが、身に染みて感じるようになった。恋人の価値観において、わたしは生活のパートナーとして相応しい人間ではないという判断が下されているようで、毎日が恐怖と悲しみの連続だ。それと同時に、恋人にかかっている負担を想像すると、胸が苦しくもなる。苦しみの質も量も、途方もないように思えてくる。なんというか、圧倒されて手触りもわからないような感じ。こちらから、何をどう切り出せばいいのかもわからない。恋人にとってわたしは有害なのだろうか。有害有益といった評価軸に矮小化するべきではないだろう。医者に介入してもらうより他ないのか。自分でどうにかしたいが、そうするには今の状態では力が足りていないように思う。情けない。

おばあちゃんが第二邸宅から帰ってきた。殆ど食事を摂っていないうちのことをかなり心配しているっぽい。どうしたものか。食欲が出ないものは出ない。それが伝わらない。一緒にいるときは頑張って食べるから許してほしい。ごめん。

Twitterもしばらくやれていない。正確には、適当にTLの投稿を読むくらいのことはできるが、ツイートができない。悲しい、苦しい、怖い、そういった言葉しか出てこない。

TLでは西成の路上生活者を小道具のように扱った写真が燃えていた。撮影者は路上生活者と懇意にしている旨を述べているが、免責の理由としては足りていないように思う。例えば、路上生活者のご友人がいたとして、路上生活者という属性を前面に推し出すのではなく、一人の友人の魅力を表現する手段としてその人を主題としたポートレートを撮り、公開していたなら、それでも批判はあっただろうが、こうはならなかったのではないか。路上生活という状態を、主体的な意思決定に基づくものとして個人に責任を帰属させ、見目麗しいモデルの引き立て役とする理由に正当性を持たせようとすることは、あまりにも残酷だ。センシティブな文脈にタダ乗りしている。

そもそもが、西成でポートレートを撮るのが面白いというような発想自体しょうもないとも言える。一眼の画質とモデルの容姿がコンテンツとして優秀なだけで、奇を衒っただけの中身のない写真だ。件の撮影者のアカウントを見たら、光と影や建物の形状を活かした魅力的な写真を撮っていた。勿体なく思う。

話は少し戻るが、街の表層的な味わいを掠め取るという点において、件の西成ポートレートと観光行為はよく似ている。うちをよく知る人ならご存知の通り、村社会の構造を維持することで観光資源を保っている街である京都に生まれ、半ば強制的に観光資源を絶やさないシステムの一部に取り込まれることに対する苦悩があった。辛うじて逃げ出すことには成功したが、無邪気にも京都の魅力を喧伝するメディアや、それに乗せられた観光客を目にする度に苦しい気持ちになる。街に生きる人々の営為を透明化している点において、両者は共通している。尤も、路上生活者を小道具にすることとうちの苦悩では、問題の程度が大きく違う。構造が同じであろうと、物事には許される程度というものがある。それを見誤ってはならない。

しかし、いい写真というのは何なんだろう。趣味で写真を撮ってきたが、別にやらなくてもいいんじゃないかと思う。真珠の耳飾りの少女のような構図の写真ばかり撮って、一体何になるというのか。内的な意義があるのか。iPhoneに詰まった300GBもの写真は、一体何なのか。写真やカメラについてあれこれ言うてる奴の写真ってなんかしょうもない感じがするので、Twitterではあまり言いたくない。こういうことを思っている時点で、しょうもないことには違いないのだが。

吉村洋文が0歳児から選挙権を与えようとしているらしい。親が代理で投票するんやと、アホか。「子供が◯人おるから自分には○+1人分の選挙権がある!」みたいなことを言うていたので、この人シングルファーザーなんかな?と調べてみたが、そのような事実は確認できなかった。これにアホかと言えない人達が大阪では多数派なのか?とても悲しい。反維新の気合い入った友達と会いたい。

夕食時に、おばあちゃんが「KBSの野球中継は…」と言うので「巨人ばっかりやな」と返したら、それがハモって面白かった。自作の蓬団子が義理の叔父叔母に好評だったという思い出話を聞かせてくれた。ちょっとだけ、ご飯を食べた。

ちょ〜元気でない、なんにもできない。時は流れる。待ってはくれない、全てが。希望がないわけではない。うちが明るい生活を信じずして、誰が信じるというのか。

おわり