十割そばで無限にお腹を壊している。食物繊維の力を借りて、心因性の不調を誤魔化すことに成功。うちは飽きるまで同じものを食べ続けるタイプなので、関東に戻れば毎日が十割そばになるだろう。
ここ数日、波はあるものの、求人に応募して、本を読んで、そのように過ごせている。本来、4月中旬から下旬にかけてそのように過ごすものだと思っていたが、1ヶ月後ろ倒しになってしまった。今日は『二十歳の原点』を読み、『ゴッドタン』のコンビ愛確かめ選手権の後編を観た。
テレビ東京『ゴッドタン』2024年5月18日放送
今日における加納の文化人度合は目を見張るものがある。大坂なおみに漂白剤が必要と言っていた人と同一人物とは到底思えない。しかし、あれももう5年前か。当時はボロカスに叩かれていた加納がこないして評価されるいうのは、良いことだと思う。松本人志のように逃げたわけではなく、謝罪もちゃんとしていたわけだから。芸人に対して少し甘いやろか。
母親に近況報告を行った際に、厳しいだろうから経済的支援は惜しまないと言ってもらう。情けないが、ありがたい。元々、2人での生活に際してもそのように言ってもらっていたが、それを活かすことはできなかったな。多少の力添えを戴きながら、基盤を作っていくものだと思っていたのだけれど。うちが父親にまで頭を下げる覚悟があると元交際相手に言っていたなら、また何か違っていたのだろうか。いずれにしても、情けない話ではあるが。
元交際相手と話し、両家顔合わせの際に確認した経済的な難しさの乗り越え方の話を相手が理解していなかったことが明らかになる。厳密に言えば、難しさがあることは理解していたが、どれ程難しいかという意味を分かっていなかったということになるのだろうか。
顔合わせに際して、経済的困難を解消する見込みやしのぎ方を提示したことによって、難しさのディテールや指針をその場にいた全員が知ったものだと思っていた。しかし、そうではなかった。共同生活が始まり(あるいはその少し前に)、元交際相手は経済面の難しさのディテールに気づき、大層驚いたらしい。それが、こちらからすれば元より自明であった点を殊更問題視しているように思え、顔合わせの場で提示した指針を再提示したものの取り合ってもらえなかったことにより、自信の喪失や不安及び抑鬱傾向を加速させた。一方で、新鮮に生活の危機を感じた元交際相手としては、こちらが提示した指針は甘く見え、「何故今更その話をするのか?」というこちらの姿勢は生活をやっていく気が無いようにも見え、孤立を深めたのだろう。この点に関しては、物事の因果はともかく申し訳なく思う。余裕がなく、事実確認や相手の立場で考えることができなかった。
全体を通して、「そんなことある?」と思わず大笑いしてしまった。これは解決できる問題だろう。ちゃっちゃか元気になって、それなりの仕事してたら、元に近い新しい形で愛し合えるかもしれない。かもしれない、というだけで、今考えることではないが。元気になることが肝要だ。しかし、元交際相手と笑い合えたのはいつぶりだろうか。
今日は物が伴う祝いをしてもろた方々に、すんまへんとメッセージを送って回った。為末大の炎上を見て、20歳以上離れた歳下の異性とちゃんと友人になれる人物はそもそも他者を尊重できる人で、多様性の理解が課題に上がるような奴には無理やろと思った。
おわり