9時就寝5時起床、身体の調子は良い。朝からおばあちゃんと朝食を摂れる、嬉しい。
『アカギカメラ 偏愛だっていいじゃない』を読む。これは面白い。現代のカメラやレンズ等は基本的に何でもよく写るという前提に立ち、その上でどんなカメラが使っていて楽しいかを語る筆致は、正しく偏愛と呼ぶべきものであった。ネットで目にする撮影体験を語るテキストの多くは、やれAFが速いだの画質が良いだので、そういうのは商品レビューだけでお腹いっぱいなのに同じようなことを書いてばかりだ。個人の体験とは偏ったものであり、だからこそ無二の輝かしさがある。カメラに限らず、そういうものが愛おしく、大切にしたいと思う。
好きな漫画家が、このブログを読んだ上での私信のような漫画を描いていて、これって人に読まれているんだなと改めて感じる。考えを整理する場として使っていたつもりが、可哀想な自分を演出して切り売りする場として機能してしまっていることに、苦しくなる。直近の困りごとについて、他者へ話すことは控えていたのに、同じようなことしてるも同然やないか。参ったね。物事はある程度個別事例的に見た方が良かろうという思いと、先人の言うてることは大概合ってるという思いがあり、往生している。
最近、Twitterの相互が『古畑任三郎』の話をしていたので、FODで第1シーズンの第1話と第2話を観た。古畑は子供の頃に再放送で観た内容の記憶が曖昧なものと、成人してから観たものが混在していて、今回観たものは前者だった。
フジテレビ『警部補 古畑任三郎』第1話 死体からの伝言
フジテレビ『警部補 古畑任三郎』第2話 動く死体
いやあ、面白かった!シリーズの最初ということで、視聴者を掴みにかかっているのがよく伝わってきて、それが効果的に機能している感じがする。この2話に関しては本当に無駄なシーンが無く、あらゆる描写が物語に厚みをもたらしている。『死体からの伝言』は、一見ダイイングメッセージに見えないものが、何故ダイイングメッセージとして機能するかを鮮やかに解き明かす田村の語りに引き込まれる。小さなところでは、インターホンが鳴った際に中森のカットが妙に複雑に割られていたのが、動揺を上手く描いていたように思えた。『動く死体』は謎解きもさることながら、堺の芝居や、役どころの一見合理性に欠いた振る舞いの真意といったところに、人のままならなさや面白さが出ていた。しかし、大人になってから観ると、犯人がどこでボロを出していて、何が証拠として突きつけられるかがわかるようになるもんやね。さり気なく視聴者に勘付かせる芝居や演出いうのは凄いな。
阪神は2-1で負けた。久しぶりのカード負け越し、かなんな。岩崎とゲラはとてもよく頑張っていると思うが、往年の藤川やウィリアムスのように監督が心中するつもりで起用する選手なのか?とも思う。調子の良い桐敷や石井を引っ張った方が良かったん違うかと思ったが、1点リード時のクローザーというのは想像もつかない重責なのだろうから、いきなり任せることもできないか。才木はよう頑張ってたのにな、全然打たへんな。
前に買った眼鏡は少し度をきつくしてしまったのとデザインが好みではなかったことから、お気に入りの眼鏡を探す旅(インターネット)に出た。院生の頃にかけていたものがお気に入りで、それに似たものを探してみたのだが、中々見つからない。一山の丸眼鏡で、レンズが大きめのもの。前のはJiNSの店頭でコレだ!となり迷うことはなかったんだがな。そんなことを思いながら、レンズの大きさ等を調べるのに当該眼鏡の型番を調べた過程で、USED品がメルカリにあるのを見つける。いやー、まさか同じところに帰ってくるとはね。レンズ交換が必要になるので、すぐそのままというわけにはいかないが、気乗りする眼鏡があるというのは嬉しいものだ。
ティータイムに渚のあられが出てきて、おじいちゃんはこれが好きだったなあとしみじみする。「期限去年やけど食べるか?爺さんが訓練で貰ったやつ」と、避難時に食べるような保存食のクッキーも出されたが、印字された賞味期限は2023年ではなく平成23年で、本当に危ういところだった。なんとなく、捨てるのが忍びなくて、今は枕元にある。
夕食時に、なにわ男子の番組がラジオから流れる。「なにわ男子やらSnowManやら、今時の子はみんな一緒に見えるわ」とおばあちゃんが言うので、「あれ実はな、名前変えてるだけで一緒の人やねんで」と教えてあげる。「信じてまうわ」と言っていたので、まだ結構シャッキリしているっぽい。今日の夕飯のカレーは、ルーが足りなかった分にカレー粉と粉末のコーヒー(隠し味らしい)を入れたとのことで、不思議な味がした。おいしくないというよりは、不思議。
起きたら、応募先に履歴書を送る。応募先に応じた内容に書き変える。元交際相手から頑張りの報告があり、頑張っているね〜と話した。
おわり