金のかかった家で目覚める。身体は休まったが、いかんせん調子が良くない。胃なのか、腸なのか、心因性なのか。
『BLEACH 千年血戦篇』第28話を観る。『KILL THE KING』を厚く描き直した今回は、原作でやって欲しかったことのオンパレードで、悔しさが面白さを上回る感覚があった。
テレビ東京『BLEACH 千年血戦篇』第28話 KILL THE KING
前提として、久保は『BLEACH』を一護の物語としており、そこからブレるものは描かないことがある。加えて、読者に想像の余地を残したいという意向から、原作ではあえて謎を残した状態で物語を終えたという旨の発言もあった。読者から好評を博した獄頤鳴鳴篇があのような終わり方をしていることからも、風呂敷を畳めないとされる批判への稚拙な反論でないことは明らかだろう。
しかし、千年血戦篇の連載当時、『BLEACH』の人気は下火もいいところであった。連載15周年のタイミングで完結したことから円満終了に見えなくもないが、背景に商業的な理由が一切無かったとは言えなさそうな雰囲気も漂っていた。また、『BLEACH』完結直後に再開された久保のTwitterでは、連載中に体調を崩すことが増えた旨が綴られていた。
上記を踏まえた所感や推論は以下の通りだ。久保が一護の物語として『BLEACH』を描く為に、ノイズとなり得るものを省くことでその強度を高め、同時に読者が完結後も物語を楽しむ余白を残すことを意図し、それは一定の成功を収めた。一方で、商業的ないしは久保の体調面の理由から物語を駆け足で畳まざるを得なくなり、それによって一護の物語として語られるべき内容さえもオミットされてしまった部分があるのではないか?と思わされる部分が少なからずあるのである。
例示すると、今回明かされた霊王の名前はユーハバッハとの関係を強く示唆するものであった一方で、一護の物語にそれ自体に強く関わるものではない。一方で、霊王の機能を停止する為には死神と滅却師と人間と完現術者と虚の力を兼ね備えた一護の力が必要だったというのは、一護が戦いの因果に囚われている理由そのものであり、寧ろ原作のユーハバッハにそのような意図があったことが明かされなかったというのは、一護の物語を描くという久保の指針と今ひとつ噛み合っていなかったように思う。尤も、そういった指針があったとしても、必ず描写しなければならないということでもない。
自分語りの交錯とでも言うべきエモーショナルな戦闘に重きを置く原作において、アニメのような戦闘描写を求めるつもりはない(尤も、新技である月牙十字衝の出番がキャンディス戦に限られたことは寂しかったが)。しかし、一護の物語を描くのであれば、もっとできたはずのことがあったのではないか。そういうことを、第3クールの相剋譚を観ていると感じざるを得ないのだ。無論、久保が描き切れなかったものを作品として補完する機会があること自体は喜ぶべきなのだが。久保の『BLEACH』のファンとしては、『BLEACH 千年血戦篇』が久保が描きたかったものであるとするならば、久保の手で描かれた漫画で読みたかったというのが偽らざる気持ちとしてある。それくらい、相剋譚は面白い。
体調は少しマシになったが、特別何もできていない。お料理をしたくらいか。広いキッチンって素晴らしいね。人の労働の対価にタダ乗りしてしまっている。
おわり