明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

220309

日記の更新が毎回0時手前になる。1日1回の更新ペースを維持しようとして慌てて書いて、アレを書き損ねていたなあ…と後になって気づくことが少なくない。

7日は右乳首が長いとカミングアウトしてきた同僚から別事業所の社員の悪口を聞き、わたしも他所でこんな風に悪口を言われているだろうなあ…と漏らしたら、「生活さんだけは悪口言ってないよ」と言われた。こういう、「お前だけは特別」みたいな扱いに、嘘だとわかっていても滅法弱い。右乳首とは4月から勤務が被らなくなる。この人と今後人生が交わることはあるだろうか。せめて悪口を言ってもらえたならば、この人の人生に爪痕を残せたような気分になれるのだけれど。

昨日の夜、相互が「朝の6時にモーニングコールをしてくれ」という旨のツイートをしていて、いけるやろ!と思いFAVをしたものの、完全にスカーピーで寝過ごしてしまった。電話するよ!と宣言したわけでもないので、相手も怒っているとかではないだろうし、わざわざ謝る程のことでもないのだけれど、申し訳ないことをしたなあと思う。

今朝はおばあちゃんが作ってくれた蓬団子を食べた。叔母の畑で採った蓬で作った団子、以前は一緒に採りに行ったりもした。亡くなった祖父も蓬団子が好きだった。今年も食べれて嬉しい。出勤前におばあちゃんに電話を入れた。喜んでくれていた。よかった。

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バ先付近のTSUTAYAで本を買った。江國香織の『やわらかなレタス』、千葉雅也の『ツイッター哲学 別のしかたで』、中島らもの『白いメリーさん』の3冊。『別のしかたで』はハードカバーのものを既に読んでいたが、文庫化に際して増補されていると聞き、バイトの資料に使えそうだから…と勢いで購入した。金曜から順次PDF化させたい。漫画は綺麗にスキャンできないと読む気になれないけれど、テキスト中心の書籍であれば多少ガタついていても気にならないことに気づいた。次は岸政彦の『断片的なものの社会学』をPDF化したい。

他人に求められると生活のリズムを崩してまで応じてしまう。B4の頃、出演作の編集に明け暮れる監督と毎日のように5,6時間通話をして話し相手になっていた。監督以外にも、新卒1,2年目の先輩2名とローテーションのように、時にはトリプルヘッダーで朝から晩まで1日中話し続けたこともあった。B4時点で卒論以外の単位は取得済みの状態であった為、卒業は問題なくできた一方で、その影響だけでないことは明らかだが、就職活動にはサッパリ身が入らなかった。講義に出席しなくていいサイクルが昼夜逆転生活に拍車をかけていた。楽しい時間でもあったが、他者からの押しに極端に弱いサセ子のような傾向はこの頃から顕著になっていったように思う。これは相手が悪いのでもなければ、勿論わたしが悪いわけでもなく、その時点での相手とわたしの相性が悪いのだと思う。こういうときは、可能な限り対象と一旦距離を置くようにしている。問題の本質を有耶無耶にするのではなく、タイムアウトや鬱の急性期に重要な判断を下さないようにすることと同じ構造だ。しかし、これは対症療法的なやり口に過ぎない。根本的なところで、感じ取った要請を有耶無耶にしてやり過ごしてしまえるような大らかさがあれば、もう少し生きやすかっただろうなあ。

夕飯に王将でテイクアウトした極王炒飯と海老天を2人前分食べ、ギリギリのところで吐かなかった。ビニール袋には2人分の箸とスプーンを添えてられていた。店員もまさか1人で全部を一気に食べるとは思っていなかっただろう。食後すぐにココナッツ味のリステリンでうがいをした。食後の余韻を味わうような余裕の無い自分が嫌になる。

精神科医や心理士は、診察や面接中に自殺を示唆する患者やクライエントに対して、それらの行為をしないようにと約束を取り付けることになっている。単なる口約束ではあるものの、一定の抑止力があるとされている為だ。態々死にに行くようなことはしない方が良いというのは素朴に同意できる一方で、これらは相手の価値観を否定する説得に該当するのではないか?治療者の保身のように映るのではないか?という思いも拭えない。それでも、死なないでね、と言うより他ない。

Twilogの"すべての年の同日ツイート"機能で各年の3月9日のツイートを読んだ。自身の思考の変遷が垣間見えて面白いので、これからも日記を書く前には読んでみようと思う。

2018年から何の進歩も見られないことに嫌気が差す。

学生の頃に撮った自主映画のエンドロールにORANGE RANGEの『ラヴ・パレード』を流したことをふと思い出した。

おわり