明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

220317

朝に仙台の友達と喋った。無事でよかった。今回の地震は死者が少ないようで安心することと別で、当人や遺族からすれば死者が少ないことや確率が低いことなど関係はなくて、厳然とした死の事実だけがある。そういうことを思うと、友達が生きていてよかったと思うことは良くないことなのではないか、というような考えがよぎる。小難しいことはさておき、生きてくれていてよかった、そう思っていいに決まっている。生きてくれていてよかった。

昨日失くしたバングルがバイト先で見つかった。それなりの値段がすることもさることながら、お守りのように思っているものだったので、返ってきて本当によかった。TEN.のさざ波をイメージしたシルバーのバングルは、波打つようなうねりがありながらも一本の輪としての形状を保っており、日々の中で何かに揺らされたとしても、わたしが1人の人間としてあり続けることと重なる部分があるようで、とても愛おしく思っている。万に一つ失くしていたら再度購入しようかと思いオンラインサイトを確認していたら、まだ在庫があるようだった。2万円出せばわたしとお揃いになります。

http://www.online-ten.com/fs/onlineten/br-0017

バ先でバツイチから誕生日プレゼントを貰った。朝井リョウのエッセイと、解離性人格障害の性犯罪者の手記、味噌汁とお菓子を貰った。その人が誕生日のときは『BURN THE WITCH』と『今夜、すべてのバーで』をあげていたので、本を贈り返そうと思ったとのことだった。紙の本を読む気力がないので、ありがたいのですが、一旦置かせていただきますね、とロッカーに仕舞った。本当に、気持ちが嬉しい。

来週の土曜はバ先で年度末の食事会があるが、どうも歳下上司にゃんはわたしの誕生日会としてサプライズをやるつもりらしい、とバツイチからリークを得た。誕生日を祝われることに対して、嬉しいようで苦手意識があり、はれがましく居心地が悪い感覚に陥る。近年では人に誕生日を教えることは殆どなくなった。履歴書から誕生日を把握しているバ先の人間には敵わないので、諦めて御厚意に感謝し、笑顔で応じようと思う。

印象に残っている誕生日プレゼントを思い出す。高校生の頃に好きだった友達から貰った薄いピンク色のバースデーベア、B2の頃に父親に買ってもらったSCHLUSSELのモッズコート、M1の頃に親しくしていた人から貰ったサコッシュバッグ、このあたりだろうか。折角貰ったにも拘らず、忘れてしまっているものもあるのだろう。今年は先のバツイチ以外からだと、従妹からスタバのドリンクチケット、母方の祖母から図書カードを、友達からLINEスタンプを貰った。ここに書いておけば、読み返せば思い出すことができる。

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奥のピンボケのピンクが件のくまちゃん これしか携帯に写真が残ってなかった

愛想の悪いわたしは、きっといつか誰からも誕生日を祝われなくなる。その日までは、この居心地の悪さを噛み締めたいと思う。

おわり