薬が効いているのか、発熱による苦しさは随分とマシになったものの、喉が腫れて灼けるような痛みがある。お陰で朝の10時まで眠りに就くことができなかった。明け方まで眠れないということはこれまでも時折あったものの、流石にこれは想定外だった。
11時頃に母親が救援物資を届けに来てくれたので、その受け取りに応じる為に目覚める。母親は、わたしにとって好ましい態度を取ってくれなかったこととは別で、わたしを大切にしようとはしてくれているのだろうというのを感じる。現金なやっちゃな。
おばあちゃんと叔母に電話をかける。おばあちゃんは今のところ元気そうだった。よかった。叔母には昨日従妹に届けさせてくれた焼きそばと卵焼きのお礼を伝えた。父親と顔を合わせたくないばかりに滋賀で療養させてもらっているので、本当に頭が上がらない。
『RE:SUPERCAR』リリース時のナカコーのインタビューを読み返す。
これに限らず、ナカコーの受け答えは殆ど何も言っていないも同じではないか?と思わされることが多かったが、これはナカコーの信じる個人の不変性に起因しているのだろうなと、最近になって思えるようになった。変なの〜と昔は思っていた考え方は、いつしか自分にスッと馴染むものになっていた。
わたしのTwitterのFAV欄を覗くと、ある作家のポエム漫画(BLEACHのことじゃないよ)をよくふぁぼっているのがわかると思うが、最近そのアカウントのフォロワー数やツイートのRT数が増えていて、少し寂しいような気分を覚える。ファンだった地下芸人が売れていく際に抱く感情に近いのかもしれない。ファンの間では、氏の作品は騒ぎ立てずにひっそりと各人の心の中で楽しむもの、というような合意が何となくあったような、そんな勘違いがこう思わせているのだろう。人に教えたくなるようで、自分だけが楽しむ詩集であってほしいような、そんな感覚。
今日は何時に眠れるだろうか。明日は休み。しばらく休み。休み言うても療養は休暇とはちゃうからな、全然スッとせえへん。かなわんな。
おわり