明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

220814

眠れない夜、いつも考えていたことがあった。

B2の秋、火曜4限の英語終わりに友人とBOXで過ごすことが習慣になっていた。5限後に先輩がやってきて、なんとなく一緒に帰ることになるのだが、それを待つ間に遊んでいたのがパワプロだった。同じサークルのメンバーの名前で選手を作り、2つにチームを分けて戦わせた。歳下ばかりに手を出す奴と同じ名前の選手を作り、低めの球に強くなる特殊能力を与えたり、サークルを辞めた奴の決め球をサークルチェンジにしたりと、少々趣味の悪い遊び方をしていたが、そんなしょうもないことが楽しくて仕方がなかった。

知人の名前で作った選手が100を超えた頃には、知人を3つのチームに分けてリーグ戦が行えるようになった。京田辺のBOXは人が殆ど来ないので、暇を見つけては1人で遊んでいたのだが、これが中々進まない。146試合もあるペナントレースを駆け抜けるには、相応の根気が必要になってくる。B3にもなると京田辺に立ち寄ることも少なくなり、リーグ戦は週に一度開催されるかどうかというような有り様だった。

自分のチームを優勝させたい。しかしゲームをするには時間が足りない。ああ、確かローテの順番としては次は誰それが先発で…等と考えながら床に就いていたら、いつの間にか眠ってしまった。目が覚めたとき、これだ!と思った。寝る前に、頭の中でリーグ戦を行えばいいのだ。自分で作った選手なので、データは頭の中に入っている。わざわざBOXに行かなくても、毎日試合ができる。その日の晩から、ペナントレースが再開した。

果たして、B3の頃に始まったペナントレースから、何シーズンが過ぎただろうか。いつからか、最早ペナントレースを楽しむというよりは、眠る前のルーティンとなってしまった以上、これをせずには眠り辛いというような、少なくとも楽しむ為の野球ではなくなっていた。高卒でドラフトにかかった彼らも30代に差し掛かり、選手として脂が乗ってきた。知人3軍は熾烈な優勝争いを繰り返し、新たに出会った知人達で出来たチームも新規参入、最早実際にゲームで選手を作成することもなくなり、リーグは混沌模様を呈していた。戦力外になる選手も出てきた。自身をモチーフにした選手が、就寝前空想リーグで最初に引退した。強肩を買われて守備要員として1軍に定着したものの、あまりの貧打に見切りをつけられた、という設定である。スポーツ誌の片隅に簡単な記事が出ただけで、なんJでも話題に上がることなく姿を消していった。本当は、空虚な遊びにうんざりしていたのである。当時無職だった自分と、社会に進出し働き始めた知人達が同じフィールドで活躍するという妄想に、無力感を覚え始めていたのだ。しかし、現実で希薄になっていく交友関係を補うように、同じ名前をした彼らと別れることは難しく、眠れない夜の数だけズルズルと試合を重ねていった。

2024年、セ・リーグの優勝祝賀会、所謂ビール掛けで、爆破テロは起こった。死傷者多数のこの事故が社会に与えた影響は大きく、当分プロ野球は開催されない運びとなった。これでよかったのだ。虚な羊達を殺し、現実を生きる時が来たのだ。寝苦しい夏の夜、ふと再来年が爆破テロが起きる年だったことを思い出した。

f:id:Halprogram:20220815000750j:image2018年8月14日 新潟

おわり