明るい生活の暗い日記

スピードが足りない

221108

Twitterでスペースを開いたら友達と4年ぶり?くらいのコミュニケーションが生じた。スピーカーにはあがってこなかったけれど、話は聞いているからいけるところまで喋ってくれということで、他のスピーカーがいなくなっても1人で3時まで喋り続けた。起きたらメッセージが来ていて、また今度遊ぼ〜という話になり、また今度遊ぶ運びとなった。スペースはインターネットの知り合いが来てくれることが多いものの、知人が来てくれるとそれはそれでとても嬉しいので、これをお読みの方におかれましては是非……と思っとります。

『大学院ウイーク2022「現代思想と人類学を行き来する」』を聴く。千葉雅也が「小説は大きな物語というよりは、あの時の仕草だとか、この時の光の差し込み方だとか、そういうものの積み重ね」みたいなことを言っていて、それがすごく良かった。

f:id:Halprogram:20221109221920j:image
f:id:Halprogram:20221109221925j:image今日のこんがりはんグッドモデル賞やった
f:id:Halprogram:20221109221916j:imageはじめまして 美人さんだね
f:id:Halprogram:20221109221929j:image

おわり

221107

大阪の生活史の聞き手の募集に落選していた。当選していたら儲けもの位に思っておこうと言い聞かせていたが、いざ落選となるとやはり気分が落ち込む。相互の相互くらいのアカウントが当選の喜びをツイートしているのを目にして、憎たらしく思う。あんたは何も悪ないねんけどな。おめでとう。

落選通知のメールには、"選考の基準は「語り手の具体性、インタビューの実現可能性」 を最優先とし、 500名超の応募者から半分ほどに絞り込みました。聞き手の数を150人へと確定していくにあたっては、『東京の生活史』のときと同様、 最終的に抽選方式での選考となりました。"とあった。これを踏まえた上でわたしの応募文を読み返すと、わたしが話を聞きたいとする語り手像が曖昧であったことに気づかされる。個人的な興味関心も書き記しつつも、大阪に縁のある誰もが語り手たり得るというような内容では、語り手の具体性に欠けるという判断だったのだろう。確かに、これが論文の研究計画書なら、もう少し具体的にと言われても仕方のないものである。市井の人間の多様性を損なわぬようと考えあぐねた末の記述ではあったが、それは150人分の語りが集まることによって担保されているのであり、「誰に聞いてもいいなら別にあなたが聞かなくてもいいよね」と、抽選にかかるよりも前の段階で篩にかけられたことが容易に想像できる。くじ運の無さを呪うなぞ100年早く、純然たる実力不足だったのだ。大阪の生活史の聞き手、やりたかったなあ。元気があれば知り合いや友達にインタビューをして小冊子を作りたい。

通勤電車の中で仕事へと向かう顔を作る。最近になって、電車の中でメイクをする人の気持ちが少し分かるような気がしてきた。メイクとは目的に応じた顔になることであって、身体が目的の地へ向かう過程と目的に応じた顔になる過程を同じ時間に重ねることは、目的に対して高度に没入する行為なのだろう。だからといって、電車の中でメイクをすることが社会通念上好ましいことだとは思わないものの、単なる時間の節約に留まらない意味があるように思え、そういう人達に対して少し優しい気持ちになれるようになった。コロナ以降の社会ではめっきり見かけなくなったが。

バイト先に同じ専門の院生が入ってきた。同じ専門の後輩が職場でできるのは初めてのことで、心底嫌になる。自信の持てない分野で後輩ができるというのは本当に居心地が悪い。実習や他の専門のバイトもまだやっていないということで、彼女にとって学外で初めて目にする身近な有資格者ということになっているのかもしれないと思うと、頼むからもっとちゃんとした奴を参考にしてくれ〜となる。いつまでも専門職としての自信が無い。いつまでも言うてもまだ3年目なのだが。激ヤバ新入社員が院生ちゃんに対して先輩風を吹かしていたのは見ていて面白かった。皮肉でもなんでもなく、職場の先輩やねんからそら吹かした方がええわな。帰りの電車で激ヤバと2人になったとき、「あの人スタイル良すぎませんか?出るとこ出てて、腹立ちますよね?」と聞かれた。腹は立たない。

仔細は書かないが、寂しいなと思わされることがあった。寂しいです。

今日の良かったことはツイキャスで相互にゃんが妊活のことを「まあ中出ししまくってるんだけど」と言っていたことと、朝食べた塩昆布と卵かけご飯が美味しかったこと、高校生の頃に読まなくなった新テニスの王子様の1〜4巻をあげた友達が何年か振りにアカウントを動かしていたこと、これくらいですね。

f:id:Halprogram:20221107233221j:image2019年11月7日 従妹と叔母と犬
f:id:Halprogram:20221107233227j:image2014年11月7日 京田辺BOX 映画サークルのDVDBOX(作品集)を作る もうDVDの時代じゃないしそういう文化も無くなっているんだろうな

去年週5.5で働いたの無理があった 映像系の無限に連勤してる人はすごいな〜と思う

試験で東京に出た日だった 新宿から新線新宿に乗り換える時に見た気がする

この頃思い出せてた人の笑い声、もう誰も思い出せない気がする

おわり

221106

おばあちゃんが朝からお出かけ。家を好き放題に使える。偽ネオユーラシアトーストでササッと昼食のような朝食を済ませ、祖父のPCを借りてiPhoneの写真のバックアップを取る。

iPhoneの写真とは言ったものの、fp LにAW1のようなミラーレス機やQ2やdp2 Quattroのようなコンデジで撮った写真も、iPhone上で編集処理を行う前提で撮っているので、iPhoneには私が撮った上で残したいと思った写真が残っている。元となったカメラのデータはSDカードから直接バックアップを取っているものの、編集後の完成した写真はiPhoneから吸い出すより他ない。ところが、である。PCに繋いだiPhoneのDCIMフォルダ(写真が入っているところ)が年月別に作成されているではないか。

元々、iPhoneは写真の保存日時を参照した無機質な連番のDCIMフォルダに振り分ける仕様になっていた。ところが、iOS14.6では先述の年月別仕様になった。そして、iOS14.7では元の連番仕様に戻っていた。ここまでは知っていた。だから、iOSを14.8以降のものにアップデートしたら再び年月仕様になっているだなんて、想像もしなかった。とても困っている。

わたしは今まで、iPhoneの連番DCIMフォルダをそのままコピーすることで写真のバックアップを取っていた。前回のバックアップ時にコピーしたフォルダの最も数字が大きいものだけ、フォルダ内を精査してどこまでがコピー済みかを確認するのが少し手間だった位で、コピーにかかる時間を除けば非常に楽なプロセスだった。しかし、年月別仕様だとこうはいかない。フォルダへの振り分けが保存した日時を参照して振り分けられていたのなら、今までと大差のない工程数で済んでいただろう。しかし、この振り分けに参照されるのは写真の撮影日時なのである。

これによってどのような不都合が生じるかと言うと、2018年8月に撮影した写真データを今日編集してiPhoneに書き出すと、2022年11月のフォルダではなく2018年8月のフォルダを参照しなければならなくなり、昔のデータを編集する際は逐一記録しておかないとバックアップが取れなくなってしまうのである。こんな厄介なことがあるだろうか。ここまで昔のものでなくとも、月頭に先月の写真を編集することなどザラにある。もっと言えば、2020年以降のカレンダーに対応していないガラケーで撮った写真(わたしはガラケーのチープでノイジーな画質をイケてると思っていて2022年現在も撮影用にガラケーを持ち歩くことがある)のバックアップなど更に面倒で、機種毎にカレンダーの初期値が異なるのでどこに何が保存されているかを把握する必要が生じてくる。iPhone上で撮影日のEXIF情報を上書きすれば正しい日時を反映したフォルダに振り分けてくれるだろうか。それだって根本的な問題の解決にはなっていない。

iPhoneを使い始めて10年近くになるが、これはわたしにとって最も好ましくない仕様変更で、どうしようもない改悪だった。やり場のない怒りが今も消えていない。とりあえず、去年の夏あたりから写真のバックアップが取れていないので、まずはそれをコピーする。そして時間をかけて全年月別フォルダのバックアップを取り、既存のバックアップと統合する。今後、過去月のデータを編集した際は、iPhoneの写真アプリ上で未バックアップの過去月フォルダに日時順に整理して保存し、バックアップの際に参照する。面倒だが、こうするより他ない。難儀な話やでほんま。日記っちゅーよりバックアップの覚え書きやな。

f:id:Halprogram:20221107001443j:image偽ネオユーラシアトースト

おわり

221105

歳下上司にゃんと一対一で話す瞬間があった。業務上必要なやり取りとはいえ、いじめられる以前のような柔らかい物腰だったので緊張感があった。大学の先輩が恋愛をやっていて、その話を聞く。パンパンの人だと思っていたのに、すっかりしおらしくなっていて、らしくないように思えた。わたしをパンパン扱いしてあれこれ意見を求められたが、果たして何か役に立つようなことは言えただろうか。うまくいくといい。命名にまつわるエピソードは何かないかと同期と話し、フェルトの自転車をフェルトと名づけていたこと、アニメの影響でママチャリをデュラハンゴウと名づけていたことを聞いた。わたしはB1の実験で使ったラットにthe end of genesis T.M.R.evolution turbo type Dをもじった名前をつけた話をした。めちゃくちゃ恥ずかしかった。初めて牡蠣を買って調理する。ネギとバター醤油とで炒めたら、当然の如く美味しいものが出来上がり、当然の如くお腹が痛くなっている。うまくいかへんな。わたしが得意としていない分野の相手の要求に応えようとしたら、わたしのやっていることは要求に応えられていなかったと判明したときの無力感たるや、厳しいものがありますね。ありました。

f:id:Halprogram:20221106001436j:imageめっちゃ吠え犬

おわり

221104

ここ数日、頭から離れない料理があった。

ネオユーラシアトーストである。卵液を染み込ませたトーストという、シンプルながら確実に美味しいであろうことが容易に想像可能なそれは、初めてTwitterのTLで目にした日から夢に出続ける程で、わたしの中で日に日に存在が大きくなっているのを感じていた。

辛抱たまらん、今日食べよう!と思い立ったはいいが、家には顆粒だしもコンソメも無かった。

その代わりと言っては何だが、レトルトのカルボナーラソースと薄切りハムと温泉卵、そしてブラックペッパーがあった。最早それはネオユーラシアトーストではないのかもしれない。でも、今の自分にできる最善はこれに違いない。トーストをパスタソースに浸し、フライパンで焼く。とろみが強いからかすぐに焦げついてしまったが、その分待ち焦がれる時間も短く済んだ。

ネオユーラシアトーストではないそれは、レトルトなりに濃厚なソースがパンに染み渡っており、そのカリッとしつつもしっとりとした食感が堪らず、大層なご馳走に思えた。

最早ネオユーラシアではないそれをネオユーラシアと認める懐の深い爆乳くのいちトミ影

次は本物のネオユーラシアトーストに挑みたい

朝食の満足度が高かったからか、後のことがあまり精緻に思い出せない。バイト先に別曜日に勤務している女子大生が来ていてしんどかった。パーカーのフードをだらしなく横に垂らした隙のある女で、こういう女がしょうもない男に簡単に股を開くんだろうなと思った。3年目とLINEのアイコンやHNの話に。「この人はアニメアイコンだから多分オタク、この人は40近いけどHNを特殊フォントでニックネームにしてるから飛ばしてそう、この人はオシャレな写真をアイコンにしてるけど水平が取れてないから隙がありそう」みたいな話をしていたら「なんでアイコンひとつでそんなあることないこと言えるんですか?」と引かれる。「決めてかかってるんじゃなくて、受ける印象として、そうかもしれないな……と構えるには十分な情報じゃないですか?」と尋ねると「LINEのアイコンで何も思わないです」と答えられた。その後も何となく話をしていると「ほんと、いつまで私に興味あるんですか?」と呆れられる。「あんたは何しててもおもろいから興味尽きひんで」言うたら「私のこと嫌いになったら興味無くなりますか?例えば、私がセクハラさんみたいにセクハラをしたら興味は無くなりますか?」と大真面目な顔をして尋ねられた。「嫌われる為に別にしたかないであろうセクハラを検討するのが既に面白いからそれは効きまへんて」と返すと「そっかー」と頭を抱えていた。来週土曜はこの人とセクハラと3人で泥団子を作る。帰りに事業所2の歳下上司にゃんらと駅の改札で遭遇、わたし以上に歳下上司にゃんに嫌われているキショバカ無理上司が事業所2の面々に挨拶を飛ばしヒリついた空気に。久しぶりにバツイチらと一緒に帰った。「生活さんが悪いとかじゃないと思うんですけど、何でこんなことになっちゃったんでしょうね」と、フォローなのかよくわからないお言葉を頂戴する。人に期待していないと失礼になることもある。そういうの、ほんの数年前まではわかっていたはずなのに、できなくなってしまった。牡蠣醤油、少し前までブームが来てたけどくどくて飽きちゃった。

f:id:Halprogram:20221104235713j:imageこんがり 夜中なのにお外にいた 寒くないかい?

モ!最年少のちーぼうと5歳しか離れてないの本当に怖かった ちーぼうはわたしが小6のときの小1 あのは小2

ずっとそうだね

ずっとそうだね

Spoon

Spoon

わたしがLINEの着うた(?)的なものに設定してる曲

おわり

221103

支払いなんもやってへん。ビックルの代わりに雪印フルーツがイケてることがわかった。

思い出話を投稿したらショッキングな内容があったとかで人を悲しませてしまった。誰にどんな配慮をして何を書いたらいいのかわからない。嫌ならばTwitterをブロックして、hatenablogを読まなければいい。願わくは、SNSのノリが合わない程度で終わる関係でないといい。

仮に交際相手ができたとしたら、SNSでは繋がらないようにしたい。なんというか、自由な振る舞いの場を見て勝手に幻滅したくないというような気持ちがある。それでもこっそりと監視してしまうようなこともあるかもしれないが、それによって何か不都合なことを知ったとしても、それはわたしの責任だ。

なんか、うまいこといかんな。なんかうまいこといかんないうような感じで1日が過ぎました。

おわり

暗転したまま始まらない映画

・B4冬、忘年会で後輩に泣きつかれた。サークル内で政治をやれという内容だったように思う。「もうB4だから、そういうことをする立場にない」というような返答をしたが、相手は納得してくれなかった。

・友達にハムスターを電子レンジでチンして殺した人がいた。よくわからなかったけれど、映画の1シーンのようだと思った。

・この人面白いな〜という興味関心と交際相手を得なさいという社会からの要請を混同して人を好きになった気がしたことがあった。周囲に焚きつけてもらって遊びに誘った時点で何か違うな〜となり、普通に友達として仲良くしてもらった。

・B2冬の自主映画の撮影中、先輩がテレビデオに纏わる兄弟喧嘩のエピソードを披露していたことが何故か忘れられない。エピソードの仔細は全く思い出せないのに、テレビデオの話をしていたことだけは鮮明に覚えているので、会う度に「あの時話してたテレビデオの話してもらっていいですか?」とお願いしている。今年5月にも聞いたのにもう忘れた。また聞く。

・B1夏、ディズニーランドに行った友達がわたしにだけ人間の頭くらいの大きさのあるプーさんのぬいぐるみをお土産にくれて、好意を持たれているのでは!?となった。好意を持たれていた。BOXでその人と寝バックで性行為に及んだという事実無根の噂が流されて、大層迷惑した。

・BOXの大掃除をした際に、アダルトビデオ店で働く先輩が置いていった中古DVDが山程出てきたので、その内の1本を流して掃除のBGMにした。あるテレビ局で放送される1日の番組を模した作品で、登場人物が全員全裸なだけで誰もセックスをせずに淡々と番組が進行していった。

・B4の頃、今出川に寄ったついでに、御池辺りに住んでいる後輩に市役所前まで出てきてきてもらい、そのあたりで話し相手になってもらうことがしばしばあった。何を話したかはもはや思い出せないが、彼女には世話になった。

・B1初夏、意味もなくBOX泊をして数年前の自主制作映画を観る。アスペルガー症候群を思わせる主人公の男性が、海を見たさに家を飛び出し、搾取を受けつつも純真な人となりから助力を得ることに成功し、海に辿り着くというような内容だったと記憶している。こういうものをいつか撮ってみたいと思った。撮れなかった。

・B2秋火曜、一緒に英語の講義を受けていた友達とそのままBOXへ行き、パワプロをするのが楽しかった。5限が終わった先輩を待って、3人で一緒に帰った。それだけのことがとても愛おしかった。

三山木での何も無い日々を収めた00年代中盤の自主映画があった。ファイトクラブのような暴力シーンと、エンドロールで自転車を漕ぎながらカントリーロードを歌っていたことが印象的だった。

・B1秋、先輩がスピーカーから流した大森靖子の『君と映画』がすごく良かった。大森靖子との出会いだった。

・B3の学祭1日目の夜、京田辺のBOXで友達と作品を完成させた後、喫煙所に行った。わたしは煙草を吸っていなかったけれど、この場合は一緒に行くべきだろうと思いついて行った。「わかってるじゃん」と彼に言われて嬉しかったのを覚えている。

いい思い出風に書いているものの、わたし自身はホモソーシャルに媚びまくって集団内の嫌な規範を強化するゴミカスだったので、大学生の頃の思い出全般に対して、なんだかなあと思っている。

君と映画

君と映画

おわり

221102

もっとモテたいな〜と素朴に思う。モテるということがどういうことなのか、未だに判然としないが、異性からチヤホヤされたりセックスに誘われまくりたいという気持ちが中々抜けない。

高校生の頃は、顔が悪いから恋人ができないのだと思っていた。実際は漫然と日々を過ごしていたことによる機会の損失に過ぎなかったのだが、当時はそれが分からなかった。客観的な評価を得ようと2ちゃんねるのVIP+の顔評価スレに顔写真を投稿したところ、ブスだと言われるどころか好意的なレスがいくらかついて、「悪いのは顔じゃなくて性格か〜」と理解するに至った。確かに、「xxは顔はいいよね」等と言ってもらえる機会はあったし、恋人を得ようとアクティブになれば名目上の交際相手も何人かできた。しかし、交際のような関係は長続きしなかった。相手への関心が持てなかったり、精神障害を思わせる行為に振り回されることに疲弊したり、そういうことがあった。大学入学以降はより交際に慎重になった。湿った好意を覗かせる人間に対してシャッターを下ろしたり、反対に薄らと好意を抱いた人と交際するも、好意が薄らとしたものであると知られたことで関係が破綻したり、そういうことがあった。うまく言えないが、他者との距離の取り方が下手なのだと思う。

それらを経た結果、緩やかな性欲によってチヤホヤしてもらうことや、セックスを求められることに安心を覚えるようになった。そこに難しいことは何もなくて、チヤホヤしてもらえたら嬉しいし、性的に求められることも嬉しいし気持ちいい。心を重ねることは難しくても、それに比べれば体を重ねることは幾分か簡単で、目に見えない心よりも目に見える行為は信用に足りる気がする。でもいつまでそうやって愛してもらえるかわからないから、色んな人から愛されたい。そんな思いに日々駆られている。

理解している。長期的な関係を築くパートナーと出会うには、このような態度は恐らく好ましくない。しかし、コンコルドの誤謬とはよく言うが、態度を変えることによって今までのわたしの全てがダメだったと感じてしまうような認知があり、本質的な改善が難しい。また、それによって一時的に誰からも相手にされなくなるのではないか?という不安も強くある。どうしたらいいんだろうね。困っています。話の落とし所をこうしたかったわけでもない。眠たくてあまり頭が回らない。

今日も今日とて Twitterでスペースを催した。相互以外にも、フォロワーの大学生とも話すことができた。大学生、いいなあ。めちゃくちゃ声の低い女だと思われていたらしくて面白かった。スピーカーの多くが20代後半の人間だったので、彼の居心地は悪くなかったかが心配。パン屋のバイト、頑張ってほしい。宝石のように光り輝く思い出を順番に話していくゲームができたのが特によかった。もっとそういう話をしたいけれど、宝石をいっぱいひけらかすのはお下品なので各位が1エピソードを披露することでゲームが終わった。わたしは絶対大丈夫というHNの相互が書くテキストがかなり好きなので、彼女に「もっといっぱい書いて!」とお願いした。眠い。もっと書きたいことがあった気がするが、いかんせん眠い。のんちゃんは日記に書かれたい言うてたのに堪忍ね。明日は研修の振り込みをやる。

f:id:Halprogram:20221103005051j:image2012年11月2日

心ない人

心ない人

  • ラブリーサマーちゃん
  • J-Pop
  • ¥255

おわり